奈津子/第二/01

奈 津 子
  第二・檸檬の章
  一
 一九六九年の四月に、私は、京都市にある国立K大学法学部法学科に入学した。奈津子も、同じK大学の文学部独文学科に入学した。
 まだ郷里にいた四月の初めに、市内の商店街を歩いていて、私と同様に一人だった奈津子とたまたま出くわした。お互いに誇らしげに「合格おめでとう!」と言い合った。二人とも満面に笑み、という状態であったに違いない。私が「京都で、また逢おうよ」と言うと、奈津子は瞳を輝かせて「うん!」と言いながら肯いてくれた。
 入学式の前に、健康診断等のために一度、神戸港まで航路を利用し、新幹線はまだ大阪までしか伸びていなかったため、国鉄三宮駅まで歩き、そこから快速電車を使って京都へ行った。そのときに宿泊した、K大学医学部病院の南にあった古い旅館の帳場からは、黒いシルクハットを頭に乗せた若い女性がヴォーカルとして歌う、「忘れられないの、あの人のことが……恋の季節よ」という曲が聞こえた*〇一。このときは、奈津子に逢えなかった。
 しかし、憧れて入学した大学の、学生としての新しい生活が順調に始まったわけではまったくなかった。三月初めの入学試験のときは答案を書くことに集中していたためにほとんど関心を払わなかったが、その入学試験は学外の十数カ所の予備校等を利用して学部等ごとに分散して行われ、私の受験した会場の周囲には、警察の機動隊員が数十人も立っていた。彼らは、「入試粉砕」と叫んでいるヘルメット姿の学生たちと対峙していたのだった。
 入学式も活動家学生が乱入してきたために一分も経たないうちに終わってしまい、学部ごとに説明会らしきものが行われた。また、受験勉強中には何も知らず、大学からの情報提供もなかったが、一月末には教養部の学生が無期限のストライキを決議しており*〇二、かつ教養地区の正門等のすべての門はバリケードによって「封鎖」されていた。そして、授業、いや大学では講義というべきだろうか、それが始まる見込みは立っていなかった。
 多少の混乱はあってもいずれすみやかに講義が開始されるだろうと漠然と想定していた私は、そうではないことを入学式の際に初めて知って、茫然とする思いだった。勉強をするためにこそ、この大学に入ったのに、裏切られた、という気持ちがした。
 今思えば、一九六〇年代後半から諸大学で始まっていた「紛争」の、ちょうどピークの頃に、私は、そして奈津子も、大学生になっていた。T大学ほかの主だった国立大学やいくつかの私立大学では「全共闘」なる組織が結成され、各大学で相呼応するかのように、「全共闘」系学生たちが牛耳る自治会がストライキ決議をしたり、「封鎖」という実力行使をしたりしていた時期だった。受験勉強をしていた際に自らを激励するためにときどき写真を見ていたK大学の時計台の建物も、K大学「全共闘」が占拠していた時期があり、それに反対する別の党派の学生たちとの間で実力衝突も起きていたようだった。
 私は「自由」を感じながらも、ほとんどを「自らの責任」で判断して、新しい生活を始めなければならないことに戸惑いを覚えた。
 しかし、振り返れば、そのような状況であったからこそ、私は入学後に奈津子と頻繁に逢うことができ、その後の二人の関係の基礎を築くことができた。その意味では、大学をめぐる時代状況も、私と奈津子にとって運命的なものだった。
 入学当初の私は、同じ大学の学生として奈津子と逢って会話をしたいと思っていた。高校卒業前に握りしめた彼女の手の感触はまだ覚えていた。だが、彼女との間にどのような関係が生じるのかどうかは分からず、自信もなかった。
 二人にとって、郷里を離れて京都の生活を始めることは、人生の大きな区切りであり、新しい時代の幕開けだった。高校生時代の少なくとも一時期にはお互いに「好意」をもち合っていたことは確かだったが、そのような過去は、まだ幼かった時代の感傷的な思い出にとどまり、新しい生活には何の影響も与えない可能性もあると思っていた。
 また、正常に講義が開始されていれば、そのための準備や出席のために、奈津子と逢う時間的余裕は少なかっただろう。さらに、奈津子は、京都で、あるいはK大学文学部の中で、新しい人間関係を築き、私ではない男子学生と親しくなっていく可能性は十分にあった。私が奈津子と高校生時代と同じような気持ちでつきあいができる保障は、まったくなかった。
 しかし、「大学紛争」という時代と運命は、二人のために、少なくとも私のためには、微笑んでくれていたように思える。

 *〇一 ピンキーとキラーズ「恋の季節」(一九六八年七月、作詞・岩谷時子)
 *〇二 正確には、「一月三一日/教養部闘争委員会、三〇日の代議員大会決議に基づき教養部各門にバリケード構築、無期限ストライキ突入。二月七日/教養部学生自治会執行部、代議員大会開催を企図するが、教養部闘争委員会など共闘派学生がこれを阻止。二月一四日/午後三時半ごろ、教養部学生自治会、代議員大会を開催。無期限ストライキの即時解除などを可決。共闘派、これに対して代議員大会の不承認を宣言、バリケードを強化」。以上、K大学年表による。

# by aoyamarei | 2017-01-28 01:00 | 奈津子2004

憧憬055/断想(ノート、1966年)

 憧憬055/断想 (ノート、1966年・高一)  p.61

〇 眠られぬ夜に
  ふと 感じました
  時が
  夢のように過ぎゆくことを
  そして
  僕の小さな人生も
  すでにはじまっていることを
   あゝ もっとよく考え
   あるたけの準備をして
   出発したかった
〇 山の緑も 空の青さも
   僕には死んだ色に見える
  人々の笑い声も ささやきも
   僕をからかっているように感じる
  頬にふれる風までが
   すべてのものが 虚なく空しい
〇 苦しさが人をつくるというのは
   苦しさを乗り越えた人がいうのであって
  その苦しさに負けた人には
   信じられないことばである

# by aoyamarei | 2017-01-21 21:30 | 憧憬

憧憬054/散文(日記、1966年・高一)

 神は僕に何を求めるか。いったい、最後の目標を何におけばいいのか。
 後悔なく死を迎えること、世に貢献し、有名な人物になること、いったい何だ。そしてそのために何をすればいいのだ。
 -高で勉強をして、そしてよい大学にはいって――それがいったい何のためになるのだろう。よい大学を出れば、いい会社へいき、楽な生活ができるためか。僕は、安楽な生活はしたくない。緊張した、精いっぱいの、一生懸命の生活をしたい。絶えず向上をもとめ、絶えず自らを反省し、人類のために生きている、不満なくすごせる日を迎えたい。
 あゝ、自分が、過去とそして未来の二つの永遠のその間を生きることができ、自分は自分で作り上げたものならば! そうでないから、あまりに無意味なのだ。
 僕は何のために生まれた? この不思議さ。誰が、いったい何が、僕を、人間として、男子として、二〇Cの後半に、この日本にそして四国の松山に生み落としたのだ。自然か? 神か? それが僕にとって一番いいのだろうか。
 この自分は、尊き、そして最も醜い自分は、自分でつくりあげたものじゃないんだ。あゝ、この自覚。冷たい氷の中に入れられた思い。生まれたときから、大きな運命を背負っているのだ。何者かが僕に負わせた運命を。
 その運命は、いったい人間のすべての何%を占めているのか。
 容姿、こんなのは運命である。才能、これも運命じゃないか? 思想、これは何だ。考え方はその人がつくりあげるものか。親からうけつぐものか?
 あゝ、運命は人間のすべての何%を占めているのか。五〇%? そんなはずはない。九〇%、このくらいじゃないのか。ほとんどがもう決まっているのじゃないのか。一挙一動、その人の行動、「あゝしよう」「こうしよう」と思うことも、すべては運命、自然の力ではないか。いったい、僕自身の力は何だ。俺の強さは? 今こんなことを書いているのも、神は知っているのではないか。そうされているのではないか。
 神は、人間に限りない苦悩を与え、人間はそれによって命をおとすほどの Pain を味わうのだ。何のために、そんなものを与えたか。
 命とは何だ。生まれても、やがて死に、結局なかったものと同じじゃないのか。
 何のために生きる? 何のために生きる?

# by aoyamarei | 2017-01-19 02:00 | 憧憬

憧憬064/断想(1966年)

 064 断想 (ノート、1966年・高一)  p.70
〇 悪人であることの自覚
  それが恐ろしいのだ
  悪人であっても 自覚だけはしたくない
  善人であることの自覚
  こんなことはありえないのだ
  そう自覚した瞬間 その人は善人ではない
〇 嘘をつかねばならぬつらさ
  その中でも一番つらいのは
  本当の自分―自己―に嘘をつかねばならぬことである
〇 思い出は 墓場の中にあり
  苦しい現実が 俺の前にある
〇 自分の内部にあって
   客観的に自分を見つめるもの
  それが 自己である。
〇 したいこととしなければならぬこととが
  完全に一致するとき
  その人は偉人になれる
  よって
  自分に与えられる責務に
  自分の志向を合わすことが肝要だ
  が 現在の自分はどうだ
〇 現代では
  自意識の強いものは損をする
〇 恋のはじめは 美しき錯覚

# by aoyamarei | 2017-01-11 22:50 | 憧憬

憧憬051/散文(日記第六、1966.08)

 憧憬051-散文(日記第六、高一) p.59-p.60

 (1)  (八月一一日)
 何もかも忘れて
 知らないうちに死んでしまいたい
 そして
 うす青色のあじさいに生まれ変わって
 きれいな花びらを咲かせたい

 (2)  (八月一九日)
 いじらさしさ、可愛さ、美しさ。
 もうとっくに赤い恋の実の味を知ってるくせに、
 もうとっくに女の眼で男を見てるくせに、
 男をひきつけるやさしい、魅力ある瞳をもっていることを知ってるくせに、
 神さまのような顔をして僕をじっと見つめる――
 あゝ、あの人の、 
 いじらさしさ、可愛さ、美しさ。


# by aoyamarei | 2016-04-04 06:00 | 憧憬

憧憬049C-日記第六(1966.08、高一)

 憧憬049C-日記第六(1966.08、高一)

 (5) 八月九日
 コーラス部で、興居島〔ごごしま〕のわしがす〔鷲が巣〕へ行く。
 男子8人、女子10人、計18人。
 知っている人の名を列記すると、/女子、S-、W、S-、U-、O-、S、K-、S、S。〔不明〕知らない。/男子、〔不明〕T、M、K、H、O、それにO。
 まァまァ楽しかった。少しでも pain、worry を忘れていた方が幸福だ。
 わしがすは、梅津寺よりずっといいところだ。
 むかいに(2km away?)小島もあって、ちょっといい所。
 一日中、テンマ船を借りて、僕も3、4回乗った。
 女子はそんなにうまい人、いなかったよう。
 -さん、どこにいても美しい。/何をしても美しい。いつみても美しい。僕の若いときの最高に讃えたい女性、永遠の恋人のような気がした。これ以上の人はいまい。失恋であることはすでにわかっている。
 が、ウェルテルのロッテのような存在だ、あの人は。/僕にはすぎた人だけど。
 だが、美しい、明るい、女らしい。/あの人がいると、僕はいつもドキドキしてるのに、他の男子はそんなこと全然ないようだ。
 僕の精神が不思議に思える。
 美しさが目にしみる。この言葉を使いたい。
 濃紺の水着でした。僕はじっと眺めたかった。/白い、きれいな肢体をもっていた。
 泳ぎながら、上にいる僕たちに見られるのが気になるのか、ときどき自分の胸元を見ては押さえていたあのしぐさ―。-さんのサングラスかけて、僕が「こっちむいて」っていったら「イヤ」って答えた、あの言葉。しばらくして、横顔を見せてくれたけれど。
 いつみても美しい。何をしても美しい。どこにいても美しい。ああ、すばらしき人。
 美しき声、ことば――。/僕には、すぎている。もつたいない。
 少しこげた。S先生、泳がれなかった。
 Tの少し男らしいところ発見。
 船にのるのもいいな、と思う。
 何か考えさせられる。
 素直に。8.10記。

 (6) 八月一〇日
 午後、東高へいき、6じ前まで楽譜づくり手伝う。4人だけだった。
 夕方、C(cub=大野泰夫)がきて、一緒に「一日に何度も」の楽ふをMちゃん、Kちゃんのところへもっていった。
 -さんのところに相当長くいた。
 話して、感じのいい人だった。/あんなに長く話したのは久しぶり。
 -さんちへいこうと思って、土居くんちの前あたりで、帰宅中の-ちゃんを〔不明〕、少し話す。
 それから家へいって、7じ30分くらいまで、前で話した。/-さんもいた。/こんにちわ、っていうと、ニコッとして下さった。
 素直に、明るく、伸びゝゝと。
 学習のこと、心配。600人中-番の成績をとった者の夏休みのすごし方とは思われまい。Math、さて今度の試験で80あるかどうか。

 (7) 八月一一日
 午前中、CHORUSへいって、楽譜つくりの手伝いをした。8.45~14.30くらいまで。/10じ前に、-さんも来た。/僕のこと、少し親切にしてくれるように感じた。/Trumpet を吹きだしたのにはオドロいた。
 またMさんのオゴリ(vi treat)で、女子2人、男子3人でまどか〔軽食店〕へ行ってコオリ食べた。
 うちが無職なのが、ひどくしゃくにさわった。
 泣きたくなった。そして、負けてたまるか、と思った。
 何かにつけ、来年、J〔城〕さん、Y(八木)さん、Sさんらが入学してからのことを考える。
 僕のことなど、忘れてしまっているだろう。
 明日、三好さんと海水浴〔に〕いく約束した。Baishinji〔梅津寺公園〕.
 常に誰かを愛している僕。/いつも何かにおびえている、小さな心をもった僕。
 そのくせ、たくさんの人のいる前ではおしゃべりで、図々しくて――これは仮面をかぶっているのです。
 自分でも精神病患者だと思ったことのある僕。/死にたいと思ったこともある僕。
 今、手を動かしている僕と、考えている僕とが、全然別の人間みたいな、ふとそんな気がするのです。

 (8) 八月一二日
 歯医者へ行く。
 海水浴は人数と小雨のため、中止。
 松商〔松山商高〕1-0で辛勝。/評判が高すぎて萎縮したのか。
 Study、まァまァ。/がんばる。8月30日の実力テスト、10番以内にはいたい。Math が問題だ。
 やればできぬことはない。
 -のこと考えてる。すばらしい。
 以前の作文読んだりして、なつかしかった。/わりにいいこと書いてある。
 あゝ、いつか、小さい時からの作文集めて、本にしたい。

 (9) 八月一三日
 思ったほど Study できない。
 英、国はまァまァ自信あるのだが、数学はどうも。
 30日まであと二週間ちょっと。/他の者は Homework みんなすませてるだろうか。
 みんな一生懸命やってるだろう。
 -/600の名誉にかけても、サボッてはならない。はずかしい。
 -さんに嫌われた。あらためて、そう思った。/夏休みになってから三度ほど逢ったけど、冷たい。/中学のときはこんなことはなかった。
 僕も変わったかもしれない。失恋――。again.
 -さんの、好感をもっていたようなことばを思い出している。何か、僕を特別扱いしてくれているような。
 でも、自負はしまい。
 僕はこの人に、好かれる資格のない人間だ。-さんにも。
 3月にみた-さん(-ちゃん)が結婚するっていう夢のときの気もちが、今だに忘れられない。たかが夢の話だのに、何かしらそれが尾を引いて今まできている。不思議だ。
 9:30~11:00までテレビみる。久しぶり。テレビもいいな。
 精神病たることを自覚する。
 愛せるものがなかったら、僕はグレて、ますます alone になるであろう。
 実篤を思い出すと救われる。
 朝、小説、半枚ちょっとくらいだけ書いた。
 本を読みたいが、時間がないかもしれない。
 感想文は「人間失格」にしたい。
 この家には不満だらけ。/言っても仕様のないことだけど。
 あゝ、小説を書きたい。作家になりたい。
 Boys, be ambitious!
 ambitious とは野心のことか。とうていなりえないことを望むことか。
 ふつうの人なら、まず金のことを考えるだろう。
 が、僕は仕事の価値を考えないわけにはいかない。
 自分のためよりも、他の多くの人のために仕事をしたい。自分の生活をささえるためだけのものにはしたくない。
 1.02. 眠たい。I am sleepy. Good night, my sisters.
 恋することは辛いことぞ。僕はその辛さがこたえられない。

 (10) 八月一四日
 20日までには Homework してしまいたい。
 といっても、数が1/4、生物の訳、国語の読書感想文、古文の訳、現代文カイシャク、それに English があと3つとL.L.E. それに N.J.by Lafcadio が残っている。
 15、16、17、18、19、この5日間、精いっぱいがんばってみよう。
 今日、地理、どうにか終えてしまった。
 テスト前の10日間、他のこと何も考えずにいたいのだが。
 Kのお母さん〔義姉の母親〕、うちへこられた。
 松商は17日に静商〔静岡商高〕と。やはり勝ってほしい。
 オヤジ、朝からずっとテレビをみて一日をすごしている。他のうちが羨ましい。
 -さん、-さん、この二人の-、特に-が羨ましい。この二人に甘えられるのだから。こっけいだけど、ヤける。/それに-も羨ましい。が、何といっても、-が。立派な人なんだろう。
 明日、Library へ行く。返しに。
 三島由紀夫と太宰の、借りてくる。
 みんな、今ごろ、何してるか?
 M〔緑川純子〕嬢よりまだ Letter こない。また気がかわったか。
 学校で優等生、家で狂人。
 二学期になるといい。今のような過程のことを忘れてしまいたい。気にせずにいたい。
 うちは最低だ。/Home とか Family なんてものじゃない。ただの house に三人住んでるだけだ。
 馬鹿野郎、俺は狂人、自殺-死。
 Give it time for in time.
 自己に限りない自信をもち、得意にくらしている人、万歳! いやいやの「万歳」だ。
 つらい、苦しい、さみしい、ひねくれた生活をおくってる人、一緒に微笑もう。手をつなごう。〔この二行、52断想(1)として別記〕
 お幸せに。おやすみ。

 (11) 八月一五日(月) rain
 予定していなかったが、家にいるのがイヤになって、フト映画館へいった。スバル座。
 「イスタンブール」「砦の29人」/前者はだいぶ刺激をうけた。というのは……。書かなくてもわかるだろう。Action. 後者は西部劇。
 洋画は邦画に比べてスケールが大きいと思う。
 朝から雨。10じすぎて got up.
 井上のおばさん〔父親の実妹〕、くる。
 というわけで、work はN.J 2枚と23課を70%しただけ。
 まァ、どうにかなるさ。あと2週間。
 恋したい。/いや正直にいって、今は、いろんな人から好かれたい。相手にされたい。孤独でいたくない。
 早く学校がはじまるとよい。そうすれば、くよくよ考えないですむ。
 高1コース(9)、文学入門、人間失格、460円買った。
 500円引きだす。from the bank.

 (12) 八月一六日
 まえの日記を読み返していると、こんどの Diaryがはずかしくなった。字はキタないし、下らないこと書いてあるし。少しキチンと書いていこう。せっかく150円の Note〔を〕買ったのだから。
 10じすぎ、起床。
 Eng. at last 「英文解釈の基礎」の宿題してしまった。99p. よくやれたと思う。
 だいたい20日までには宿題はできるのではないだろうか(読書感想文は?)。
 テストまであと二週間もない。/-番以内に自分の名を載せたい、と思うが、無理かもしれない。ああ1度、Top がとりたい。
 Math. もっとしっかりやれねば、おくれてしまう。
 英和(コンサイス)買う。650。それに小ベスタ和英、200円。
 買いにいくとき、公園前でJ〔城〕さんをチラッとみた。美人。きれいな人だ。以前がなつかしい。ちょっと見ただけなのに、それだけで、中学時代の彼女の一コマ一コマが思い出される。/あゝ、恋した人よ。
 姉キとN〔甥=直司〕くる。また雨。
 ずっと家にいる。友達と顔会わさず。フロへいく。
 -さんたちと、一人で話していた。いるような気もちで。
 自信。

 (13) 八月一七日
 1.06。ネムい。
 今日一日で数学3問しただけ。/僕には Math の素養がないのかもしれない。/すぐ、ケアレスミスをやる。緊張できない。
 精神分裂症か。
 できないので、とてもしゃくだった。
 次にあと2日間の計画をかく。
 18 Math 次の14 国 徒2 解B
 19    次の10   徒4 解C
 20           徒9 解D
 あと Biology、 ラフカディオ・ハーン、数学のプリントがあるが、さしあたってこれだけ。
 坊ちゃん堂〔古書店の一つ〕で40円で「数Ⅰの研究」「徒然草の研究」「日本文学―」の3冊買った。安い。
 How cheap, not expensive.
 ロシア民謡など、いい歌を覚えておきたい。
 このままダラダラと夏休み終わりそうで、心配。/どこかで区切りをつけなくちゃと思う。
 一人で高縄半島一周やってみたい。by alone.
  ちくしょう。だいぶ fight がでてきた。
 N(直司)、cute、可愛い。
 あともう少しで二学期、10日ちょっとだ。
 Tさんの姿を見かけた。美人。
 歯医者へいった。
 
 (14) 八月一八日
 11じごろに Study やめたけど、そのあと、writing a letter that will be carried to M.J. をしていて、12.20になっている。
 今日は本屋へもいかず、I stayed at home all day.
 Study の予定は完遂。
 あと1日、遊べる日が欲しい。
 国際劇場の次週、「嵐ケ丘」「汚れなき戯れ」、絶対みにいく。
 N、前より大分可わいくなったみたいだ。
 明日、N姉さん〔次兄の妻〕、帰るそう。
 ウラ〔長兄宅〕で芥川龍之介集とバイロン詩集を借りた。
 数学がややこしい。
 まァまァ、Nらがいるから楽しい。/いつまでも居てほしい。
 早くこい。2学期。

 (15) 八月一九日
 早く寝たいとは思えども、いつしか時はすぎさりて、はや11.54とはなりにけり。
 I stayed at home all day.
 Math、一応は宿題すませた。
 「現代文解しゃくの基礎」もおえたので、あとは「徒然草」の九、Biology の和訳、By Lafcadio Hearn の和訳、L.L.E となった。
 明日中にL.L.E 以外はやってしまいたい。Biology がひどく時間を喰う。
 9月になってからやろうかとも思う。
 松商5-1で静商に快勝。Best8になった。
 22日、奥道後の映画、見にいく。
 とこ屋へいく。
 -。-。仕様がないけれど。
 高1生と4、5日話していない。
 狭くなるだけか。
 国際〔劇場〕へは27日の予定。
 みんなどの程度 Studyしているのだろう。/夏休み、もっとやっておくんだったと、regret しないようにがんばりたい。
 今がんばってないとは思わないが、何かしら迫力が足らず、ダラダラしているように思う。
 Good Night.
 -ちゃんへ。
 眼をつむれば、貴女の優しい笑顔。
 その瞳をみつめながら、心の中で、貴女に話しかける。
 僕は貴女が好きなんです。ずっと前から。
 姿を見る毎に緊張して、二人で話せるときも、うまく話せなかった。
 貴女が好きだ。愛らしい貴女が。
 でも僕は、貴女が僕を嫌いなのを知っているのです。そして他の男を恋していることも。
 僕のような男が、貴女に好かれる資格はありません。
 僕のような醜い男が、貴女が恋しているあの男に、いくら対抗しても無駄でしょう。
 が、それを知っていても、貴女を嫌いにはなれない。
 僕など、嫌ってくれても結こうなんです。
 僕には、嫌われる資格があります。
 つらさ、失恋の悲しさ。でも、なお、貴女を恋することのできる喜び、しあわせ。
 嫌われてもいい、貴女を恋することができたら。
 貴女が好きだ――
 そして、熱いため息をつく。8.19

 僕などを 好いてくれるはずがなし
 そう思うのに 夢みるあわれよ 〔憧憬046・散文の一部としても別記〕

 いじらしさ、可愛さ、美しさ。
 もうとっくに、赤い恋の実の味をしってるくせに、
 もうとっくに、女の眼で男を見てるくせに、
 男をひきつける、やさしい、魅力ある瞳をもっていることを知ってるくせに、
 神さまのような顔して、僕をじっと見つめる―
 あゝ、あの人の いじらしさ、可愛さ、美しさ。〔憧憬051・散文の一部としても別記〕
 8.19

 (16) 八月二〇日
 あと9日であるが、L.L.E、徒然草もすませたので、By L. と読書感想文、生物だけになった。
 明日からは本腰で試験勉強にとりかかろう。
 明日は、松商-横浜商。たぶん勝つだろう。
 T(卓)ちゃんとN(展子)さん〔義姉と甥〕、きた。/Tちゃん、可愛らしい。
 C〔大野泰夫〕くる。/二階にあげるんじゃなかった。
 久しぶり、武者〔武者小路〕の心に触れた。
 街へいって、どうしてか、とてもつかれた。
 自信、だいぶでてきた。

 (17) 八月二一日(日)
 すぐ、あの-たちと話しをしている。
 あのうちへいったら、どんな話をするかを考えている。
 二人とも、僕がこんな気もちであること、夢にも思わないであろう。
 松商勝って、明日は小倉工と。たぶん勝つ。そして決勝戦というわけである。
 優勝しそうな気もする。今日は、4-2。
 明日は奥道後へ行って、Movies をみてくる。
 大野泰夫。dislike. don't like.
 学習は、まァ予定どおり。どうやら宿題以外の勉強はできそうにない。あァ、-番以内をとりたい。なぜか? ズバリ、新聞に名がのって、二年生にも見てもらえるからである。-さんに。/Math に力を入れよう。
 調子にのってはいけない。自信をもって頑ばろう。
 中学校は8じまでだが、二学期からは8時までのつもりで登校しよう。
 なぜか? ズバリ、Rさんと途中で逢えることを望んでいるのである。どんな話をしよう。
 体を鍛えるのは、できなかった。/水泳も、ただの twice.
 Good Night, Beautiful Dreamer.

 (18) 八月二二日(月)
 I had fogotten to write this. I am going to write in 22〔23?〕.
 Yesterday I went to Oku-D. to see movies.
 They were interesting, Sayuri Yoshinaga was charming, beautiful and pretty.
 That park has a variaty of the place to play.
 I didn't bathe there.
 A bus of Oku-D. was nice, big.
 After it, I watched television.
 The baseball match between M.H.S. and Kokura was ended by M.'s winning.
 I syudied a little.
 I got sleep 〔at〕0:30.

 (19) 八月二三日(火)
 10じごろ起きて、午前中は Study せず。
 Library へいき、返して、二冊借りてきた。/雨がふって、濡れた。
 午後、野球はなかった。順延。
 Study は after all Math. only.
 10じごろ寝て早く起きるつもりが、Music の作曲していた。はや1〔時〕.25分である。
 全くもって変化なし。
 -  -/ -〔Y〕  -〔H〕/ -〔R〕
 27日は絶対国際劇場へいく。
 あと3日、26日までにテストの勉強を一応終えてしまわないといけない。
 Good Night, Beautiful Dreamer.

 (20) 八月二五日(木)
 昨日、つけ忘れていたとは不覚。
 つけ忘れていることもしらなかった。
 昨日は聖書を少し読んだりして、汚れのない美しい心をもとう、と思ったりした。
 幸福とは何なりや。名誉か、金か、地位か。そんなものではあるまい。
 「幸福は心の平和なしには得られない」
 こう無車〔武者小路実篤〕はいっている。
 現代人はみんな不幸だ。幸福? そんなことがあってたまるか。ウソの幸福を本当のそれだと思っているだけだ。
 幸福と思わないと悪いような気がして、身近な快楽を幸福だと思いまちがえている。
 多くの人が知らない、現代人は不幸だということを。 〔以上の6行のうち4行、憧憬052・断想の一部としても別記〕
 あゝ、どうなる?
 今日は午後、本屋をまわる。
 明屋で大江〔健三郎〕のを2つよんだ。/「他人の足」と「死者のおごり」
 この人は少し変人だ。題材がかわっている。
 古本やで、60円で3冊かった。
 12じ30分まで Study.
 あと Test まで4日。
 あさっては、Movie.
 あゝ、May God bless me! -番以内とりたい。
 こういうときに God を呼ぶのは、sin.

 (21) 八月二六日(金)
 N、T母子来宅。T、可愛らしい子になるだろう。Cute.
 英・数とも、もう一とおりやったことになった。
 明日、「嵐が丘」「汚れなき悪戯」みにいく。
 International theater.
 人間失格の感想文がまだ。
 少しかいたが、また書き直したい。
 ズバリ、ヤマへもっていこう。
 昨日、3.10ごろ、Yさんをちらっとみたように感じた。たぶん、間ちがいない。
 うちの前で。〔不明〕へいこうと思い、うちの門をでていつものとおり西をチラッとみると、Yさんの像が眼にはいったのだ。ほんの0.0ナン秒かぐらいであろう。
 その後は略。ちがっていたかもしれない。
 話しかけてくれるのを期待してたのだが。/少し、その後、体を熱くさせてくれた。
 僕を恋してくれた人、恋し合った人。
 Good Night, Beautiful Dreamer.

 (22) 八月二七日(土)
 ちょっと違った日。といっても、8じに充兄キ〔次兄〕がうちへきてから、であるが。
 それまでは、うちのおやじが妙に腹立って、むかむかしていたのだけど。
 MちゃんとM姉さんを合わせて6人が1じかんほどの間、話していた。話題は僕のことが多かったよう。
 何処の大学へ行かしてくれるか。おやじは前に「*大」か「*大」へ行けといっていたが、それでショックをうけて、しばらくは勉強がイヤになっていたけど、今日は-大、-大、-大、-大、-という名が次々と兄キたちの口からでて、夢のような気持ちになった。
 そうだ、僕が「東〔松山東高〕」で今のところ*番だ。
 このままとおしたら、-大も夢ではないかもしれないのだ。実力がありながら、お金がないためにあきらめなければならないという悲劇を経験したくない。あゝ、金、金、金。
 お金がないために、行きたい、そして行ける実力をもっている University へ行けないなんて、あまりに可哀そうだ。misarable! pity!
 とにかく勉強しよう。
 Y〔八木三千子〕さんたちと、好き、嫌い、とかいうのではなく、いい友だちらなりたいな、と思った。
 それから、今日は、映画の日。
 国際劇場へ「嵐が丘」「汚れなき悪戯」をみにいった。どちらも colour でなくてやや残念だったが、ためになった。面白かった、というよりは。
 あと休みも2日。そして Test であるが、それほど、満点に近いほどがんばったというのではないので、下がるのを覚悟している。
 20番以下へおちたら、反省必要。それまでだったら、まぁよし。/万一あがれば、happy.
 明屋でK〔平沼漢勝〕に逢った。生物の(参)をみていた。

 (23) 八月二八日(日)
 いよいよ、明日一日。
 夕方から、一族(?)10人揃って夕食。にぎやかだった。
 僕が東高で-番というのが、何かよほどガリ勉しているみたいに思われているらしい。
 どうも食いちがう。
 おやじなんか、何だ。中学のときなんか、全然勉強せずにおいて、成績がよいなんて―。
 あゝ、腹が立って、書きたくない。
 どうも食いちがう。/ちくしょう。/あゝ、太宰治。

 (24) 八月二九日
 明日、実力テスト。そして、二学期。
 Test だが、今日勉強していて、わからないところ、覚えてないところを次々に発見して、前日だというのに、少々イヤになった。
 さぁ何点、そして何番とれるか。/80、80、80、そしてプラスαがついて250欲しいな、と思う。/数学、最低、悪くても70はとりたい。英語はあわよくば90?/国語はやってみないとわからぬ。70は絶対。
 210 落ちたらチョン。/220台 不調。反省が必要。/230台 残念!/240台 まァ、普通。/250台 普通のちょっと上。/260台 よろしい。/270台 とれる可能性、数、2~3%。
 宿題、とうとう3つせず。/明日やってしまうつもりだが、無理か。
 Chorus の宿題もしていない。
 明日からが楽しみ。うちにいるよりはいい。
 兄キたち帰った。小倉へ。
 あとで3人のこっての淋しさ、つまらなさ。/家にただ3人いるというだけ。面白くない。
 -大、-大を目ざしたい。
 〔これで憧憬049は終わり。八月三〇日~九月三日、記載なし。九月四日以降は憧憬053。〕

# by aoyamarei | 2016-04-03 21:30 | 憧憬

憧憬052/断想(1966.08、日記)

 憧憬052-断想 (日記、1966年8月)  p.60

 〇 自己に限りない自信をもち、得意にくらしている人、万歳! いやいやの「万歳」だ。
   つらい、苦しい、さみしい、ひねくれた生活を送っている人、一緒に微笑もう、手をつなごう。(8月14日)

 〇 幸福とは何なりや。名誉か、金か、地位か。そんなものではあるまい。
   現代人はみんな不幸だ。幸福? そんなことがあってたまるか。ウソの幸福を本当のそれだと思っているだけだ。
   幸福と思わないと悪いような気がして、身近な快楽を幸福だと思いまちがえている。
   多くの人が知らない、現代人は不幸だということを。
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# by aoyamarei | 2016-04-01 20:00 | 憧憬

奈津子/第一/03-02

 奈津子-第一・浅葱の章

 三<つづき>
 奈津子とは、クラスは違っていても校内ですれ違うことはあり、そうした際、視線を向けて会釈し合った。私を秋月蒼一という名前の同学年の男子生徒と認識しているはずだった。ただし、会釈に特別の意味があるようにはみえず、言葉を交わすことはなかった。だが、奈津子は、記憶に残っているのと同様に、快活そうな美少女だった。そして、中学三年生のときに感じたように、やはり、心惹かれるところがあった。
 私は、予習をし、宿題を片づけるのに忙しい中でも、また、中学生時代と同じくブラスバンド部員としての活動を続けながらも、ときには奈津子の顔と姿を思い浮かべた。

 その頃、若者むけの大衆音楽の主流は、青春歌謡曲から、グループ・サウンズといわれるものに移りつつあり、高校卒業の頃までに全盛期を迎えた。しかし、彼らグループの歌のテーマのほとんどは、やはり、青春であり、恋であり、少女だった*一一。「好き」という言葉が繰り返される歌もあった*一二。
 一方、中学生時代に比べれば、現実の社会についての関心もわずかばかりは持つようになった。前年の日本と韓国の国交回復や継続していたヴェトナム戦争にはほとんど関心を持たなかったが、翌一九六七年に東京都にいわゆる革新系知事が登場されたときは*一三、特段の理由もなくなぜか喜んだ。といっても、家庭の中に会社員や公務員等の仕事をしている者がいなかったためもあってか、現実の社会についての具体的な知識と関心はきわめて乏しかった。

 夏休みが終わってしばらくのちの休日だっただろう、たまたま市内中心部の商店街を歩いていて、題名と主演女優の名前に惹かれて、ある映画館に入った。そこで観た映画*一四は原爆に関係する主題をもっていた。だが、私にとっては、二〇歳前後の男女の海辺での語らいのシーンと、青年が「おまえが好きなんだ」と言ったあとで、激しい雨に打たれながら、その二人が立ったまましっかりと抱擁し合うシーンが印象的で、かつ刺激的だった。いつの日か、あのような語らいと抱擁を経験したいものだと思った。

 秋の、たぶん一一月の文化祭のときに、ブラスバンド部、別称県立E高等学校吹奏楽団は、体育館兼講堂の舞台で、演奏発表会を行った。私はトランペットを吹いていた。その二週間ほどのち、その日はたしかM空港沖に全日空機が墜落して乗客全員が死亡した日*一五の直後だったが、たまたま校内の廊下で奈津子とすれ違って会釈を交わした。そして、いつものとおりそのまま通り過ぎようとしていると、冬期用の制服姿の奈津子が振り向いて、「秋月くん、ブラスバンドをしていたのね。わたし、知らなかったわ」と言った。
 秋月くん。そう、その後も私は奈津子から、秋月くん、と呼ばれつづけた。クラブの中ではほとんど、「ソウイチ」と呼び捨てか「ソウくん」だったが。私は答えて、質問をした。
 「ブラスバンドは、中学のときからです。志摩さんは、何かしていますか?」
 「文芸部に入っています。実際は何もしていないのとほとんど同じだけど。じゃあ、また……」
 これだけの会話だった。しかし、高校に入学してからは初めての、奈津子との会話だった。

 私は、奈津子が儀礼的な会釈をしたのみならず、私に話しかけてくれたことを喜んだ。話しかけてきたときの明るい表情が印象に残り、制服の中に彼女の生の身体が存在することも意識した。奈津子に惹かれる気持ちは、より強くなった。
 この頃の雑記帳的なノートに、詩とも短文とも区別できない、つぎのような文章が残されている。奈津子を想い浮かべながらのものに違いない。
「学校帰りの夕べの道で 空を見ながらあなたを想う
  今日もまた話せなかった 優しい言葉を聞けなかった
 明日こそは そう考えて 夕陽を眺める
 僕は胸の中で あなたにささやく
 恥ずかしいけれど 僕はあなたの微笑がほしい
 神様だけが知っているけれど あなたに逢うとドキッとする
 こんな不思議な初めての気持ちを 僕は誰にも言いはしない
 でも
 路傍に清らに咲いている あじさいだけには 打ち明けておこう
 ――さん あなたが好きです あなたが好きです
 頬を紅らめ 体中を熱くして 僕は暗い辺りを見わたす
 静かにまどろむ山の上には
 小さく 美しい 希望のあかりがともっている」 

 このような文章を綴る気持ちには、不思議なことかもしれないが、性的な関心も同居していた。この頃、布団の中に入って眠りにつく前に、奈津子の顔と姿に思いを馳せて、彼女の裸体を想像し、抱きしめてみることを想像したことがあった。しかし、奈津子の素裸の姿の正確な映像は明瞭ではなかった。とりわけ、下半身の、ある部分は。
 それ以前にも、そのような空想をしたことがあったように思う。しかし、特定の女性についてその裸体を想像した、と今でも明瞭に憶えているのは、奈津子についてである。
 今の男子高校生であれば、写真やビデオで、全裸の「女」の、淫らな姿態の詳細を見ている者も多いかもしれない。だが、当時の、とりわけあの県立E高校の男子生徒はどうだっただろうか。少なくとも私は、漫画雑誌の中の一部や生物か保健の教科書の中に掲載してあった図で知った以上に、「女」の裸の一部の様相を知ってはいなかった。見てみたい、と強く思った。同時に、奈津子に悪いことをしているような気がした。「許してほしい」と心の中でつぶやいた。
 性的好奇心は中学生時代よりも強くなっていた。男女の性交渉についてある程度のことを知ったのは、高校に入ってからだっただろうか。それでも、女の上に男が重なり、下半身の一部を密着させる、という程度のイメージにすぎなかった。そのような程度の知識と性的好奇心にとどまっていた。私は、ブラスバンドをしている、真面目そうな、成績のよい方の男子生徒だと、周りからは思われていたに違いない。

 *一一 スパイダース「夕陽が泣いている」(一九六六年)、ワイルド・ワンズ「思い出の渚」(一九六六年一一月)、同「愛するアニタ」(一九六八年一月)、パープル・シャドウズ「小さなスナック」(一九六八年四月)、ヴィレッジ・シンガーズ「亜麻色の髪の乙女」(一九六八年二月)、ゴールデン・カップス「長い髪の少女」(一九六八年四月)、など。
 *一二 カーナビーツ「好きさ好きさ好きさ」(一九六七年六月)、ヴィレッジ・シンガーズ「好きだから」(一九六七年一一月)。
 *一三 一九六五年六月二二日、日韓基本条約調印(同年一二月一八日、批准書交換)。一九六四年八月、ヴェトナム戦争始まる。一九六七年四月、美濃部亮吉が東京都知事に当選、同月二三日に就任。
 *一四 映画「愛と死の記録」(一九六六年九月。主演、吉永小百合・渡哲也)
 *一五 一九六六年一一月一三日、全日空機M市沖墜落事故発生、乗員・乗客五〇名全員が死亡。

# by aoyamarei | 2016-03-30 13:30 | 奈津子2004

憧憬049B/日記第六(高一、1966.08)

 憧憬049-2/日記第六(高一、1966.08)

 (3) 八月七日
 9:00よりDogo中に同窓会でいく。
 総会といっても名ばかりで、ほんの80人くらいか。
 おまりおもしろくない。―おもったより。
 Y悟、岡本治の顔もみえた。
 S〔曽我〕校長先生、懐かしかった。
 午後1:30~5:00まで、寝ていた。
 今、11:30ぐらい。
 あまり勉強していない。
 ともすれば暗くなる。
 僕は悪い男だ。人間失格。だめだ。

 (4) 八月八日
 午後、道後中学の Chorus をみにいく。
 亜土さんがきてたので、僕は教えることもなく、一緒に唄っていた。
 S-。可愛い。Cute.
 失いたくない。「あなたなんか嫌い」といわれても「ええ当然です」と思いたくなるような高貴な乙女。
 「あなた、大好き」といわれたら、それこそ天国の花園の中にいるような気もちになるであろう、remarkable girl.
 あゝ。いつか見た夢。あの気もちをいつか経験せねばならないだろうか。あの気もちは、今日、Music Room にはいっていって、はじめて-ちゃんとはなした時の気もちとよく似ている。ニコリともしないで突き離される気もち。
 彼女との間に冷たい氷の膜があって、いくら呼んでも手の届かないところにいってしまうような気もち。
 昨日、本当にG〔グリコ=浜田〕とL〔レモン=高岡〕、-ちゃんちへ行ったそう。オドロいた。
 相変わらずも中学生気分だなと思う。どういうつもりで遊びにいくのだろう。用事があるわけでもないのに。けれども、-ちゃんが喜んでいるのを(たしかではないが)みると、ヤける。
 僕が遊びにいくときはキチンとことづけて、承認を得てから行く。
 Y〔矢木美希子=八木三千子〕さん、盲腸炎で入院だそう。10日に切るそう。お見舞いに行きたくなったが、電話だけかけることにする。お医者さんの名前、聞くの忘れた。
 彼女の白い体が少しでも傷つけられるのは、ちょっと、何かしらへんな気持ちになるが、生命に関係あるわけじゃないし、無事手術の成功を祈る。
 May God bless her !
 明日、東高コーラス部で興居島へ海水浴。やせているので恥ずかしい。うまくつとまるだろうか。それと、みんなどんな服装してくるか、ちょっと心配。学生らしい服装で――オヤジ、いいこといっていた。
 服装は自由ということになっている。
 僕だけ固苦しい服装でも平気にしていよう。
 900円の海パン、950円の上シャツを買った。
 明日、8じ起床くらい。
 9:00までに市駅へ行く。
 自分の顔のこと、相当気にしていたが、もうやめたぞ。Cはえらい。
 気にしてもよくなるわけじゃなし。ムツッとしていると、余計醜くなる。
 もう少し図太く-。
 もう少し自信をもって-。
 自分を自分でいじめていた過去を反省する。自己嫌悪、この思いから5日ぶりくらいで解放された、かのようだ。
 0.05。
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# by aoyamarei | 2016-03-29 17:30 | 憧憬

奈津子/第一/03-01

 奈津子-第一・浅葱の章

 三
 一九六六年四月に、市内の、県内でも有数の進学校と言われていた県立E高校に入学した。奈津子も同様だった。その高校は、戦後のベビー・ブームの影響をうけてだろう、一学年の定員は六〇〇名もあり、各学年は一二のクラスに分けられていた。鉄道またはバスを使っての、遠くからの通学者も多くいたはずだが、私も、奈津子も、徒歩でなんとか通える範囲内に住んでいた。
 のちにも奈津子と話題にしたのだが、入学試験の日にも、合格発表の日にも、多数の受験生中に、私は奈津子の姿を見出していた。合格発表の日には、ほんの一瞬、奈津子と視線を交わした。そのとき、奈津子も私を認識したはずのような気がするが、今ではよくわからない。

 ほとんど勉強しないままで合格してしまった私の自宅での勉強時間は、中学生時代の数倍になった。最初の中間試験のあと、成績上位の一割の者の氏名が廊下の掲示板に貼りだされたのには驚いたが、その中でも上位の方に私の名前があるのを知って、自分のことながら、意外な好成績に吃驚した。その成績上位者の表の中には、十人ほどの同じW中学出身者の名前とともに、志摩奈津子という名前もあった。
 一回の試験のみであったが、その成績からすると、首都圏または関西圏の有数国立大学に進学することは、少なくとも挑戦することは、不可能ではないようにみえた。
 しかし、私には、懸念があった。父は公立中学校の英語の教師をしていたが、私が六歳のときに病死していた。私は、いわゆる母子家庭の育ちだった。また、一年前に結婚した、戦争中生まれの一〇歳上の姉の多恵子は大学には進学していなかった。自宅から通学できる地元の大学ならばともかく、首都圏や関西圏の大学にまで進学させてくれる経済的余力が自分の家庭にあるのかどうか、私には分からなかった。
 私の部屋にしても、勉強部屋といえるようなものは、姉が結婚して家を出ていくまではなかった。小学生の頃は母親と私の寝室兼居間兼食事室だった部屋の片隅が、中学生の二年生までは三畳の広さの薄暗い納戸部屋が、私の勉強スベースだった。
 あるとき、何の職に就いているわけでもない母親に、どのようにして生活しているのかという旨を尋ねると、そんなことは気にしなくてよい、元気でいて、一生懸命勉強しなさい、という答えが返ってきた。母親は、二五歳で姉を産み、三五歳で私を産み、四一歳でいわゆる寡婦になった。一〇月生まれで、そのときはちょうど五〇歳だった。

 高校一年生のとき、奈津子は私とは別のクラスだった。
 同じクラスには感じのよい女子生徒が多かったが、碧井由希子という名の、瞳が印象的な美少女がとくに目を惹いた。学年初めの座席は五十音順に右側から男女ごとの一列に並んでいたので、私の席は最も右の端の列の前から二番めで、その女子生徒の席はその左の列の一番前だった。私はときどき、やや斜め後ろから、その女の子の横顔をじっと見つめていたような気がする。
 授業の間の休み時間か昼休みのことだろう、近くにいた彼女と何げなく、そして数回の会話が始まり、一年前の中学校生徒会連絡会議に彼女も出席していたことを知った。また、どういう経緯であったか、文学作品のことが話題になり、私が読んだことがないと言うと、その翌日に、分厚い世界文学全集版の「風とともに去りぬ」を貸してくれた。私は彼女の好意に心ときめくところがあったのだが、しかし、その長い小説を読み終えて謝意の言葉とともに返したときの彼女の反応も含めて、会話はかなり事務的で、私を見つめる彼女の表情には微笑みがなかった。
 そのうちクラスの席替えがあって座席が離れてしまうと、碧井由希子と会話することはまったくなくなった。彼女は私に対して関心の片鱗の一つも持ってはいないようにみえた。
 私はなお彼女の存在を意識し続けていたが、積極的に話しかけることはしなかった。特別な関心をもっていても、相手がそうでないならば仕方がない、という早々とした諦めの気分があった、ともいえる。だが、むしろ、積極的な行動をして冷たい反応が返ってくることを怖れた、というのが正確な気持ちだったのだろう。挑戦してみて、ダメだったら仕方がない、元の同じ状態のままではないか、という心境にはなれなかった。私は、臆病だった。今思えば、謙虚さでも卑屈さでもまったくなく、たんに自尊心が傷つくのを怖れていたのかもしれない。
 <つづく>

# by aoyamarei | 2016-03-27 21:40 | 奈津子2004

憧憬050/読書感想文・太宰治「人間失格」(1966.08)

 憧憬050-読書感想文・太宰治「人間失格」(1966年8月、担当教官宛提出・原稿用紙) p.58-p.59

 僕はこの「人間失格」を、毒を飲まされているいるような思いで読んだ。暗さ、不健康、陰鬱、わびしさ、はかなさ、一面灰色で塗りたくられた中に、ぼんやりと奇妙な笑顔が浮かんでいるような絵。これらが、全体を読み終えて受ける感じである。
 たしかに、あと味はよくない。小さい頃から、自分一人全く変わっているような不安と恐怖に襲われ、人間への強い不信を抱いていた主人公葉蔵が、大きくなってからも変人奇人ぶりは変わらず、三回自殺未遂をし、アルコール中毒、モルヒネ中毒になり、ついに精神病院に入れられ、「人間失格」、狂人という烙印を押される、という葉蔵の手記なのである。僕はこれを読み終えて、しばらくは得体の知れない憂鬱に襲われた。葉蔵という人物が僕の頭にこびりついてしまって、いわゆる「へん」になってしまったような気がした。
 葉蔵は悪い人間であると言わねばならないだろう。教えられた、という気はしない。嫌いでなければならないと思い、こういう人にはなりたくないと思う。
 が、しかし、何かしら葉蔵にひかれるのはどうしてであろうか。たしかに悪い人であると思う。けれども、葉蔵に同情し、同感しうる点も少なくないのである。僕は葉蔵を憎めない。そして、あまりに可哀そうな一生であると思う。
 葉蔵は、小さい頃から、拒絶のできない人間だった。その事をこう書いてある。「イヤな事をイヤと言えず、また好きなこともおずおずと盗むように、極めて苦く味わい、そうして言い切れぬ恐怖感にもだえるのでした」、と。その後も、他人の言う事に反対することもできず、自分には反対する資格がないと、徹底した自己嫌悪の状態が続いているのである。誰が葉蔵をこんなふうにしたのかは知らないが、これには本当に同情したくなる。
 また、よい人に巡り合わなかったのも可哀そうである。葉蔵は少しも悪くは書いていないが、堀木とヒラメは悪人である。そう思う。葉蔵をだまして利用しよう、という気持ちがうかがえる。葉蔵が本当に心から信頼できて、助言もし(ヒラメのようなのではなく)自信をつけさせることができる立派な人がいれば、自殺する気になったりはしなかったのではないかと思う。
 主人公葉蔵は、人間や人生について、僕に多くのことを語ってくれる。ここに僕はひかれるのである。
 「(普通の人間は)エゴイストになりきって、しかもそれを当然のことと確信し、一度も自分を疑ったことがないんじゃないか? それなら楽だ。しかし、人間というものは、皆そんなもので、またそれで満足なのではないかしら。わからな……」。「自分には、あざむきあっていながら、清く明るく朗らかに生きている、あるいは生き得る自信を持っているみたいな人間が難解なのです」。「ああ、人間は、お互い何も相手をわからない、まるっきり間違って見ていながら、無二の親友のつもりでいて、一生それに気付かず、相手が死ねば、泣いて弔辞なんか読んでいるのではないでしょうか」。
 こんな言葉が、あちこちにちらばっているのである。僕は、これらの言葉に賛成しようとは思わない。けれども、なぜかひきつけられ、強く印象に残っているのも事実である。
 葉蔵は、人一倍神経が鋭いために、ふつうの人なら気付かない人間の悪い点や矛盾した点に気がつかずにはおれなかったのだろう。そして、気付いていても、ふつうの人なら平気でごまかせるところを、彼はそうできなかったのだろう。
 葉蔵、つまり太宰治の言葉は、暗く、はかない。実篤のあの明るさ、力強さと比べるとまるっきり反対である。しかし、思わずドキッとさせ、考えさせる力があるように思う。僕が毒を飲まされたような気持ちになり、得体の知れない憂鬱に襲われた、と言ったのは、この葉蔵の、苦しみの底からだしているような精一杯の呟きによって考えさせられた、ということではないか、と思う。
 そして、葉蔵は、自殺あるいは心中をする。しかし、彼は三回とも助かる。作者がこの作品を書き、そしてまだ全部発表のおわらないうちに自殺を遂げているのを知っているだけに、迫力が加えられる。
 葉蔵は、よくない人には違いない。が、その言葉には、何かしらひかれるのである。同情や同感しうる点もあるのである。僕の思っていることをズバリ言ってのけていると、心の底で思わず手を叩くこともあるのである。この葉蔵のような、不健康な、いわゆる厭世的な考えや疑問は、誰でも一度は持って、いや、いつでも心の底には抱いているのではないだろうか。葉蔵は負けて自殺をしようとするが、そこで勝って立ち直る人は、強い人間になるだろうと思う。
 そして、葉蔵は、ヒラメと堀木によって精神病院に運びこまれる。僕は、急に「脳病院」という言葉にぶつかったのでドキッとした。今まで、考えや行動をすぐそばで見てきた葉蔵が精神病院入院ということになって、僕がそう言われたような気がしたからである。葉蔵は、こう言っている。「いいえ、断じて自分は狂ってなどいなかったのです。一瞬間といえども狂った事はないんです。けれども、あゝ、狂人はたいてい自分のことをそう言うものだそうです」と。
 こうして「人間失格」になるのである。いったい、どの程度までが人間に合格しているのであろうか。精神病院入院者は失格で、あとは合格なのであろうか。が、とにかく、それにしても、葉蔵に「人間失格」という言葉を与えるのは可哀想であると思う。はたして、彼は本当に人間失格者なのか? それにはっきりした否定はできないにしても、そう言うにはあまりにも葉蔵が可哀そうすぎると思う。
 この小説は、はしがき、第一の手記、第二、第三、あとがきで成り立っているが、はしがきの三枚の写真の描写は見事である。はじめから不気味な雰囲気が漂っており、三枚の写真のイメージが、それぞれ三つの手記のそれとよく似ているのに驚かされる。
 葉蔵と太宰治とをほぼイコールとおいて読んでいったが、葉蔵の言っている言葉と、その行動にズレがあるように感じた。言葉の方に、より太宰治的なものが表れているのだろう。
 文はかなり自由奔放で、いろいろな書き方がしており、伸びたり縮んだりしているような気がした。
 太宰治は、尊敬するというわけにはいかず、「大嫌い」と言ってみたくなるけど、しかし、不思議な魅力のある作家である。
 <了>

# by aoyamarei | 2016-03-24 11:00 | 憧憬

憧憬049A/日記第六(高一、1966.08)

 憧憬049A/日記第六(高一、1966.08) p.57-58

 (1) 八月四日
 再び、日記をつけることにした。
 もう二カ月以上もつけなかった。ただイヤになったからではない。3さつめの日記帳が終わって、そのうち日記帳買いに行こうと思っているうちに、つけないことに馴れてしまったのだ。
 さて、夏休みも2週間すぎた。
 宿題は英が1/4、数が1/3くらい。20日ごろには終えたい。
 8月の実力〔テスト〕はがんばるつもり。
 それから、夏休みは本を読みたい。休みになってから、井上靖「猟銃」「小磐梯」「楼蘭」「黒い蝶」、太宰「人間失格」-today 他を読んだ。
 集英社の文学全集、無車〔武者小路〕と井上の〔を〕買ったが、僕の心はへんなもので、まだホントには読みつくしてないのに、今日、古本屋へ売った。580円で買ったのに、350円。新潮社の六車〔武者小路〕(330円)を買っており、感じいいのでこれを買い続けようかと思っていたが、-兄キ〔長兄・瑛〕のとこにワンサとあるので、やめた。それで、太宰治集を借りた。あそこにある本、読みつくしてやろう。
 午後、東へいって、コーラスの楽ふつくりを手伝う。
 いつも10じごろ勉強をはじめる。
 予定は8じ半にしていたのだが。
 M竜一をみる。-大生の貫禄あり。-大へ行きたい。
 オヤジきらい。しゃく。働いてもらいたい。
 もっと親の権威が欲しい。
 オフクロ、なんだ、子供みたいだ。
 あゝ、自分のうちのことを思うと、be much disappointed.
 乱筆、いつもだけど、ゆるせ。Good bye, Mr. Diary.

 (2) 八月五日
 太宰とともに、つらい一日。
 死んでしまいたくなる。
 完全なる孤独、孤独、孤独。
 人前での道化はやめたい。
 一人の時の自分が本当の自分だ。
 いいきれない不満。
 欲求不満。
 僕はもうだめだ。
 自分の醜さ、人間の醜さ。
 ああ、嘆息。僕はコンな人間じゃなかったのに。
 みんな嫌ってくれ。
 完全なる孤独、孤独、孤独。
 Study、Math 6問だけ。
 僕の未来に自殺の可能性あり。
 自殺とは敗北のことか。うそいえ。
 明日、Study せずに、映画見に行こう。
 太宰「お伽草し」「雌について」「満願」「姥捨」「グッドバイ」「思い出」「東京八景」
 六車〔武者小路〕「不幸な男」「兄弟」、today よむ。
 僕は神経症を自覚する。
 あゝ、恋する乙女たち。
 Sさん! Yさん! jさん! 
 <八月六日、記載なし>

# by aoyamarei | 2016-03-21 16:00 | 憧憬

060-012/大和十三仏霊場めぐり

 2010年に大和十三霊場参拝を結願した。ほぼ半年間で終えている。
 ほぼ半数は、私的な印象にしても、かなり著名な寺院で、この点では神戸のそれとやや異なるだろう。右端数字は正規の札所順の数。
 01 新薬師寺   2009.12.30 薬師如来  007
 02 小房観音寺  2010.01.03 観世音菩薩 008
 03 安倍文殊院  2010.01.04 文殊菩薩  003
 04 玉蔵院    2010.01.04 阿シュク如来  011 *信貴山朝護孫寺の塔頭の一つ
 05 当麻寺中之坊 2010.01.09 弥勒菩薩  006 *当麻寺の塔頭の一つ
 06 西大寺    2010.01.10 釈迦如来  002
 07 宝山寺    2010.01.10 不動明王  001 *生駒聖天
 08 長岳寺    2010.01.15 普賢菩薩  004
 09 大安寺    2010.01.19 虚空蔵菩薩 013
 10 霊山寺    2010.01.19 阿弥陀如来 010
 11 円成寺    2010.03.30 大日如来  012
 12 長弓寺    2010.03.30 勢至菩薩  009
 13 金剛山寺   2010.06.17 地蔵菩薩  005 *大和郡山市
 最後の金剛山寺という名の寺院は全国各地にあるものと思われる。この大和郡山のそれ(大和金剛山寺ともいう)は市街地西方の矢田丘陵の麓近くの山中にあり、最寄りのバス停からすら上がっていくのに苦労する。

# by aoyamarei | 2016-03-06 06:00 | 瞬燦

062-006/神戸十三仏霊場めぐり

 2012年に、神戸十三仏霊場参拝を結願した。ほぼ二年間かかっている。
 朱印帳で京都市のそれと比べていて、13の順序が本尊仏の種類と一致していることに初めて気づいた。大和(奈良県)、おおさか(大阪市・八尾市)のそれも同様のようだ。
 右端の数字は制式の札所順。
 01 須磨寺  2010.07.25 阿◎如来  011
 02 能福寺  2010.07.25 観世音菩薩 010 +神戸大仏
 03 大龍寺  2011.01.09 弥勒菩薩  006
 04 天上寺  2011.01.09 釈迦如来  002 *摩耶山
 05 多聞寺  2011.02.12 阿弥陀如来 010
 06 鏑射寺  2011.02.16 虚空蔵菩薩 013
 07 無動寺  2011.02.16 大日如来  012
 08 転法輪寺 2012.04.29 不動明王  001
 09 如意寺  2012.04.29 文殊菩薩  003
 10 性海寺  2012.04.29 地蔵菩薩  005
 11 太山寺  2012.04.29 普賢菩薩  004
 12 念仏寺  2012.06.09 勢至菩薩  009
 13 石峯寺  2012.07.07 薬師如来  007
 すべて神戸市内にあるが、神戸市といっても広く、鏑射寺はJR福知山線の三田の手前駅(道場)が最寄り駅で、摩耶山天上寺はケイブルカー・ロープウェイを利用できるが大龍寺は三宮北方の六甲山中にありバスも毎日は通っていない。最後に残された石峯寺は広い北区の最北端近くにあり、最寄り駅というものはなく、かつバス停からも小一時間は歩く必要がある(実際に歩いた)。この石峯寺は、旧国名では摂津ではなく播磨に属する。
 その他思い出すことは多々あるが、別に記載しよう。 

# by aoyamarei | 2016-02-28 06:00 | 瞬燦

064-001/京都十三仏霊場めぐり

 2014年度に、<京都十三仏霊場めぐり>を結願している。
 <大和十三仏>、<おおさか十三仏>、<神戸十三仏>よりも遅れた。これらは別に記録する。
 京都についての参拝順はつぎのとおりだった。すべて京都市内なので、その気になれば、もっとすみやかに結願に達していたはずだが、平行して複数の霊場札所参りをしていたため、これだけに執心はできなかったのだ。下記の最後が本来の札所順。
 001 法金剛院  2010.07.06 阿弥陀如来 010
 002 泉涌寺   2010.12.28 弥勒菩薩  006 -みでら-
 003 智積院   2010.12.28 不動明王  001
 004 霊雲院   2014.03.14 文殊菩薩  003 *東福寺塔頭
 005 大報恩寺  2014.04.01 観世音菩薩 008 *別名/千本釈迦堂
 006 平等寺   2014.04.03 薬師如来  007 *別名/因幡薬師
 007 法観寺   2014.04.12 阿◎如来  011 *八坂の塔
 008 教王護国寺 2014.04.19 大日如来  012 *東寺
 009 法輪寺   2014.05.10 虚空蔵菩薩 013 ー十三まいり-
 010 清涼寺   2014.05.10 釈迦如来  002 *別名/嵯峨釈迦堂
 011 仁和寺   2014.05.17 勢至菩薩  009 -門跡(もんぜき)-
 012 大光明寺  2014.06.21 普賢菩薩  004 *相国寺塔頭
 013 大善寺   2015.01.11 地蔵菩薩  005 *別名/六地蔵
 最後の大善寺が山科の南、六地蔵駅の近くにある以外は、京都市内の盆地の中にある。これだけに集中すれば(時間があれば)、3-4日で済みそうだ。
 本尊の種類に一三の別がある。但し、如来-菩薩-明王-天というランク付けで並んでいるわけではない。また、参拝経路に配慮して、例えば一筆書きができるような参拝順に(本来の札順が)なっているわけでもない。
 それぞれに立派で歴史のある寺院なので、二つの釈迦堂の詳細、八坂の塔に登ったこと、「十三参り」(十三仏参りではなく一三歳の年に参拝する)という慣習を知ったこと(嵐山・法輪寺)等々、書けることは多いが、別に記載する。

# by aoyamarei | 2016-02-21 06:00 | 瞬燦

父親Ⅰ/1923~1926B/大阪の下宿の思い出2

 父親Ⅰ/1923~1926B/大阪の下宿の思い出2

 大阪の下宿の思い出/その2
 6 阪急線中山寺柳田家=同郷の関大生井上清武君が下宿していた家。マンドラを借りたりした縁故で移宿する。一つには、度々宝塚新温泉へ行くので却って宝塚のすぐ近くであるこゝへ移った方が得策と思ったせいもある。離れの六畳に井上氏と同居。庭も広いし、家も割合立派である。近所に西国三十三番の札所、中山寺あり。阪急の駅もすぐである。付近は、庭木類を作り、売る家や、別荘地が多い。国鉄にも福知山線の中山寺という駅があるが、とう々々行った事なし。宝塚の旧温泉へ何回か井上氏とゆく。下宿にも何とかいう二十歳位の娘がいて、夏休の留守中、武知が泊りに来て、甲山へアベックで行ったなど、話していた。二階に梅ちゃんという梅花高女生とその姉で阪急勤めの人あり。姉には、時々訪ねてくる事実上の夫があったらしい。井上と梅ちゃんの話は別記してある。井上氏は年長だが、何か坊ちゃんくさい、頼りない点あり。夏休帰郷中、出淵町一丁目の宅に訪問した時もその母親から「--さんの方が大分しっかりしている。よく監督して下さい」など云われた事もある。 撞球が上手なのが得意であったが、果して真実かどうか。夏休に、重見、和田、勝利、三好等小学校の級友と新川に海水浴に行った帰りの汽車中で、この井上氏とどこかの奥さんらしい三十位の人と一緒に汽車にいるのに同車し、近づいて行って話した事あり。中山寺には、二年生の始より秋頃まで居たらしい。印度の詩聖タゴール氏来日の時、六甲に訪ねた時も、この頃である。或時、阪急電車に当時の宝塚スター秋田露子<注、宝塚歌劇団入団1916年~退団1925年>が細長い身体をつゝましやかに端の方に立っていた事など思出す。又、宝塚球場の外野スタンドで、歌劇の生徒らと野球を見たりした事もあった。
 7 大阪河堀町沢田家=これは以前より野本、重見君の下宿している家で、主人は小学教員五十歳位、松山の正円寺出身。奥さんは祝谷、野本-〔不明〕の長姉である(後妻)。主人はおだやかな人、時々---〔不明〕を売買していた。勤先は日本橋四丁目裏(西側)の済美とかいう小学校。奥さんはヒステリー気味で、よくままっ子の五月さん、タカちゃん(共に小学生)を叱っていた。暫く後、別の三畳に天王寺署の見習巡査大前氏も下宿する事となる。或時警察で押収した艶本を見せてくれたりした。此の大前氏は以前アベノ終点の東方のカフェーで夜晩く騒いでいて署に呼び出された時(青田に下宿当時)居た人で、奇遇を喜び、話し合った。秋の開校記念日には食券(切符)を買って貰う。後、此人結婚して下宿を出た。三年生になってからよく重見君の所に祝谷出身の--キミ子という一つ年上の娘が遊びに来て、三人で天王寺公園へ行ったりし、後直接に手紙を貰ったりした。下手な字をかく、あまり美人でない小柄の人。其後、如何したるや。重見君は福島の浄正〔?〕橋筋付近、三誠舎印刷所に勤務中であった。主人は酒がすきで、いつも一升瓶が台所においてあった。当時は一升一円位。此頃よく新世界に安来節をきゝにゆく。毎日の通学は、天王寺〔正しくは四天王寺〕の境内を南から北へ通りぬけて行った。南門を入り、五重塔、金堂、亀の池の横を通り、北へ抜け、上町線の電車通りへ出る。
 <左側空白行に追記>此の頃よく新世界通天閣の小屋へ安来節を見にゆく。当時は安来節丈けで一つの興業となっていた。ここに小さい姉妹がいて、妙に気に入り、一人で何回もゆく。
 卒業時、野本、重見君と記念撮影。又卒業の挨拶状と新勤先入りの名刺を同君勤先(三誠舎)で作ってもらう(之は無代にしてもらう)。
 <この項、終了>

# by aoyamarei | 2016-02-13 06:00 | 父一

父親Ⅰ/1923~1926A/大阪の下宿の思い出1

 父親Ⅰ/1923~1926A/大阪の下宿の思い出1

 大阪の下宿の思い出/その1
 1 入学当初、昭和<大正の誤り>十二年三月より約一ケ月、東区道修町五丁目、村上民槌方。これは兄が大阪高工〔大阪高等工業学校〕在学中からの知人であった。取敢えず、置いて貰う。純粋の大阪の家庭がよく分った。家業は骨董屋(主として支那の物)であった。店と住宅と別で、食事は住宅の方でして、寝るのは店の二階でした。そこにも色々と--〔不明〕が置いてあった。店員が四、五人居り、色々と大阪の事を教わる。四月三日の祭日には、奈良や生駒の聖天さんへ連れて行って貰った。大切にして貰ったが、何か居づらい窮屈さがあった。息子がまだ中学生であった。この息子に京都へ連れて行ってもらい、寄席へ行ったことあり。毎日京町堀の電停より通学。風呂も家にあった。
 2 上本町八丁目の外語〔大阪外語専門学校=旧大阪外国語大学の前身〕正門北へ五軒位の長屋の北の端の家の二階六畳、五、六の二ケ月位下宿。此間、山本健太郎君や東京の栗林叔父が来訪され、ガランとした、うす暗い部屋で、何か恥かしかった。一回目に下宿に移って間もなく、村上へ五円借りに行った事あり。
 近所にヴァイオリン教授所があり、習おうかと一寸思った事あり。夏休みに上京の節、丸亀藤〔?〕木より母娘が同行の為訪れた時、下宿の婆さん曰く「あの娘はどうも注意がいる様に思う。あまり親切にされぬ方がよい」と。この話、山本君もきき、二人で笑い話とした。級友数名が遊びに来て、隣家の菓子店より菓子を買い、一同で食う。その南に、外語の教科書、参考書を扱う三島という本屋があった。
 3  勝山通二丁目。こゝの苗字も忘れた。級友で同郷の武知後輩と同居した。せまくて暗い四畳半位の二室で、押入を開けたら、家で写したらしいヌード写真が出たりした。何かおかしな家で、女主人がアンちゃんと呼んでいる若者と二人の関係は普通ではない様であった。小学六年生のませた女の子が居て、武知がよくからかう。勝山通の夜店をよくひやかす。勝山通三丁目の質屋に野本と-<不明>て、数回マンドリンを入質に行った。盛に野本勝利君と文通した頃である。こゝに下宿したのは、一年生の二学期の前半位。
 4 真法院町青田家=同郷から来た支那語の稲井及武知と同居。一日朝早くまだ皆が寝ている時、兄が訪ねて来た事があり。稲井君は兄を知っているらしかった。食物のことを一寸批評して、主人の感情を害した事あり。一、二ケ月居た丈けである。家は新しい、きれいな家であった。阿倍野付近での深夜の騒ぎにより天王寺署に呼ばれる。
 5 寺田町久田家=松中〔松山中学〕の先輩平島伍郎氏が大阪歯専を出て実習している時の下宿で、その縁故で、山本、武知と移転す。女主人と五、六歳の女の子、女中、それに天王寺署の刑事である、女主人の情夫という顔ぶれ。風呂が家にあった。平島氏に連れられ、数回同氏馴染の新世界のカフェーにゆく。同氏又三味線を習っていた。移ってすぐの一夜おそく帰って、戸口が開かず、同級生宮城(もと大阪商船支店長)の下宿に泊めて貰ったことあり。何かにつけて、女主人相手に色っぽい話を一同がしていた。女の子のませていた事も非常なもの。或時同級の小川和久ら、二階から前の家の妾宅の寝室が見えるとて、わざ々々泊りがけで見に来た事あり。平島氏に蔵書が沢山あった事も驚きの種。此時通学の途中、少し西の通りの小さな門構えの住宅でよく門の辺を掃除している娘が妙に目についた事あり。

# by aoyamarei | 2016-02-12 06:00 | 父一

憧憬047B/日記第五(1966.05、高一)

 憧憬047B-日記第五(1966.05、高一)

  (4) 五月一九日
 ・余り女子のこと思わず。・Mathのとき、あてられた問題がとけず、恥ずかしかった。・Tは、僕に対してヘンかな。近くにいても、めったに口を聞かない。
 ・N〔野村〕さんが、「これ、ウツリギっていうの。赤いバラから、黄色いバラへね」。どういう意味か。わかるような気もする。
 ・今、0じ35分。・あゝ、東京の学校へ行きたい。うちが金もちだったら。-大、-大、-大、-大、-大。あと3年後の僕は? 今はただ勉強をするのみ。あらゆる面において。
 僕は男だ。見ていろ。いつか世間をアッといわせてやる。30年後の俺をみよ。
 男子にとって仕事が第一だ。現在は、人生、一生の大事な時だ。

  (5) 五月二〇日
 英訳のテスト、66だった。悪かった。そんなに勉強していないことはないのだが。どうしたものか悪い。中間テストが心配だ。英作のI〔猪川〕先生が「-さん、勉強しよるかな」なんておっしゃっていた。オドロいた。
 昼休み後、大そうじ。4じ15分~ホームルーム委員会があって、退校。
 Mさん、すばらしき人。Nさんも、学級委員だった。
 Our Classで、運動部に入っているのは、わずか6人だ。もっと多いのかと思っていた。
 Tさんと、機会あるのに話せない。しようとせず。
 <注-五月二一日は記載なし。>

  (6) 五月二二日
 -さんのお誕生日。彼女も15歳。僕と同じ。美しく、清らかに育っておくれ。土ようにチラッとみかけたような気がしたが、違ってたかもしれない。I love her.
 土よう日に、〔日本社会党の〕成田書記長をみ、話をきいた〔松山市役所近くのビル〕。
 昨晩は2じすぎまで勉強したが、今朝は9じすぎに起床。だから少々ネムたく、今、0じちょうどくらい。土、日とほとんど勉強ばかりしていた。10じかんずつはしたと思う。時間のわりに頭の中にはいってないだろう、と思う。昨日は地理、今日は主として生物。
 土よう、PTA総会だって、成績表をもらってきたので見た。2年生でMさん1ばん、それにN〔中村俊正〕先生の息子のN-くん2ばん。すばらしい!―N先生、うれしいだろう。やはりカエルの子はカエルか。
 姉キくる。今こそが一番大事な時なりと、思えばわずかの時間も惜しし〔武者小路実篤の言葉?〕。
 <注-五月二三日は記載なし。>

  (7) 五月二四日
 中間テスト第一日。まァまァだ。英作は思ったよりしやすかった。今、25日の1じ40分。昨日は3じごろまでフトンの中にいた。今日帰って、昼食後3じまで昼ねをした。目が痛くてたまらなかった。
 -大学、-大学、こんなところへ進みたい。まだ”夢”であるが。あゝ、あと3年たった僕は?
 ”気の毒だが君たちは高校三年間に休むヒマはない”―PTA新聞のことばが心にやきついている。
 これも一つの青春か。負けてたまるかと思う。がんばらねば。
 美しい、悲しい恋の味はもう経験できないかもしれない。もう今までに、ロマンティックなことは経験したので悔いはない。本当に二人だけで愛し合いたい、と思うけど、それも小説の中だけでか。
 来週、New Houseへ Moveできるそう。

  (8) 五月二七日
 2日もつけずにいた。
 中間テスト最終日。四日間が夢のようにすぎた。うそだったみたいだ。中学時代の時はこんどのように勉強しなかったし、緊張もしていなかった。予想点、〔中略〕700は無理だろうが、650は欲しい。
 いよいよNew Houseができた。今度の日よう日には引っこせれそう。今日、少し運んだ。
 Gone with the Wind、2冊め貸してくれた〔石丸嬢より〕。夏休みまでには読もう。

 <注(2007.08記)-日記第五はこれで終了。この日記帳(といっても、やや固めの表紙付きの普通の横書きノート)は100円の値段シール付き。裏表紙を開いた頁には、「限りない自信とそれに伴う謙虚さ。うぬぼれず、自信を失わない。明朗、謙虚、誠実」との文字が記載されている。購入時(1966.02、中学校卒業前)の頃の記述のようだ。>

# by aoyamarei | 2016-02-11 06:00 | 憧憬

憧憬047A/日記第五(1966.05、高一)

 憧憬047A-日記第五(1966.05、高一) p.54-p.55

  (1) 五月一六日(月)
 太陽が輝いた。一ケ月ぶりに。昨日と違って幸福な一日だった。その原因を思い浮かべると、そのたわいなさに自分でも呆れる。
 今日が創立記念日だったこと。そして、4じごろ、僕が学校へ行こう、という気をおこしたこと。この2つが原因で、堀ばたでY〔矢木美希子=八木三千子〕さんに逢ったのだ。
 今日、Yさんに逢うまでは(と、話すまでは)、昨日よりもつらかった。
 前述のとおり創立記念日だったわけだが、ずっと前から自信喪失症(表面にはでなかったが)にかかってたのに合わせて、T、Tが僕に黙って、イヤ黙っていてもいいが、「もうついてこんでもいいワイ」といって二人で昼休み中の-中学校へいったりして、僕は、女子たちと何か(県展?)を相談しにいったのだろうと想像して、ヤケてヤケてしようがなかった。Tの態度からして、のけものにされているような気がした。それで、いいようのない絶望感、失恋の自覚がおこり、帰宅しても2じかんほどは、勉強に手がつけられるはずがなかった。
 Yさんと僕とを、神は本当にうまく合わせてくれたと思う。4月4日、午後7じまえにEちゃんちで別れてから、1か月半ぶりだった。
 嬉しかった。僕は、Yさんが僕を嫌ってるとばかり思っていた。それはまちがいのない事実のように思いこんでいた。Tの口調だと、YさんはTが好きなように思えた。
 何も僕が一番好かれていると思いこんでいるのではないが(そんなにウヌボれるものか)、冷たくされるだろうと思っていた予想に反したために、とにかく嬉しかった。5-16、いい日だ。
 僕はJ〔城由美子〕さんよりもYさんの方が好きなのではないか、と思った。
 「このつらさを どうすることもできぬ身か ただあの人の優しき言葉よ」
 苦しいさ中、今日の午後2じに歌ったこの、優しき言葉を与えてくれたのは、Yさんだったから。
 大きい大きい、海に抱かれているような気がした。
 僕から話を切ったが、もっと話してみたかった。
 このあいだTがさそった件のおわびを、はじめにむこうからいってくれた。それから修学旅行のことなど。
 もし、昼休みにT2がいって、県展へいく約束をしたのなら、もちろん、6じかんめすんでからだから、そのために早く帰ってるとも思われるのだが――あの道で僕と逢って、楽しそうに話をし、そしてウチへ帰って、あるところへ集まって、Tらと県展を見にいく。そんなことがありうるか――。
 それで、昼休み、Tらに逢ったかと聞いたら、逢ってない、といっていた。うそじゃない。すばらしい、すばらしい。
 フォークダンス。S-さんと、もう少しでフォークダンスできそうだったのに、曲がいいところで終わって(あと2人ずれたら!!)、彼女はもう一つ内側の輪へうつってしまった。
 僕のこと、知ってるのだろう。「嫌われている」、彼女に、自然に、運命に。そう思ったけど、今はそう気にしていない。Sさんに話す材料ができたな、と思う。 
 面接、I〔稲荷武〕先生、だいぶ僕を信用してくれているみたいだった。
 フォークダンスの雰囲気にも、職員室の雰囲気にもかろうじて合わし、楽しそうにしていたのだが、一歩ウラにはいると、がけの端に一人立たされたような、死が呼んでいるような苦しみを、僕はもっていたのだ。
 女子と手をつなぎながら、ふとうつむいて、頭の中で「あゝ」と嘆息した僕を誰も知るまい。
 愛媛大の横のみちで、「失恋のつらさ、ゝゝゝ」とくりかえしていた歩いていた僕を知る者はあるまい。
 人間の気もちの変化のなんてたあいないものよ。うつむいて、真黒な海にもまれながら、歩いていた僕が、ちょっとして、口笛ふきながら、スキップしながら歩いていたのだ。
 Yさんに逢ったからこそ、I'm happy, very very happy.
 Brassへいく。勉強、7じ~11じ30分。眼科へいく。中間、あと一週間。

  (2) 五月一七日(火)
 ・テストの時間割発表される。・体育、集合が遅れて20人ほど腕立て伏せ50回をやらされた。僕もそのうちの一人。ああしんど。・L〔レモン、野村俊雄=高岡敏〕と一緒にかえる。
 ・T、Sさんから修学旅行のおみやげもらったそう。うらやましい。・自分の愛している人が、自分より他の男を好きだとわかったときの気もちが何となくわかりそうな気がする。
 ・あまり勉強できず。3じかんほど。・禁じられた遊びのGuitarの楽譜かった。しやすそうで、むつかしい。・小説、書いてみよう。

  (3) 五月一八日(水)
 5~8じまで3じかん寝たので、今1じ20分だが、さほど眠くない。中間テスト近しといっても、そんなに頑張ってはいない。
 Long Home、校長先生の話をきいた。S〔道後中学校長の曽我静雄〕先生が懐かしい。
 勉強していても、すぐYさんたちの瞳がうかぶ。心の中で話をしている。あゝ、恋はつらい。失恋を思えば。
 -と話してみたい。
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# by aoyamarei | 2016-02-10 06:00 | 憧憬

憧憬046B/散文(高一、1966年)

 憧憬046B/散文(高一、1966年) p.54

  (3)
  〇美しき
   君は僕にはすぎたる人

  〇君が好きと
   ただそればかり くりかえす
 
  (4)
  このつらさ
  幸福な君にはわかるまい
  君がこのつらさを僕に与えたのだ
  君にはわかるまい 気がつくまい
  僕は彼女を恋していたのに
  それを知っていながら 気づいていながら
  僕に黙って 彼女と逢うなんて
  君も彼女を恋している そうだろう
  そして 彼女も君が好きかもしれない
  しかし しかしだ
  あれほど仲のよかった 何でも言ってくれた君が
  僕に隠すようにして 何も言わないで
  彼女のいる中学校へ行くなんて
  あゝ 耐えられない
  彼女の心が君に移っていくのも つらい
  しかし
  君に冷たくされるのが もっとつらい
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# by aoyamarei | 2016-02-09 06:00 | 憧憬

憧憬046A/散文(高一、1966年)

 憧憬046A/散文(高一、1966年、ノート) p.54

 (1) (05月05日)
  これが恋っていうの? ねぇ、お母さん。
   この夢のような、ちょっぴり不安な気持ち――。
  ねぇ、お母さん、これが恋っていうんでしょう?
   ――妹が瞳を輝かせて、夢中で話していた。

  (2) (05月10日)
  〇我がまみに
   君の笑顔を思い浮かば
   つい誘われて ともに微笑む

  〇つらき日に
   ふと取り出したる 啄木の 歌が
   自然の広さを教えり

  〇僕などを 好いてくれるはずがなし
   そう思うのに 夢みるあわれよ

  〇いとし君に
   優しい言葉をかけられば
   この愁いも とけてしまうに

  〇このつらさを
   どうすることもできぬ身か
   ただあの人の 優しき言葉よ


# by aoyamarei | 2016-02-08 06:00 | 憧憬

奈津子/第一/01-02

 奈津子-第一・浅葱の章

 一(つづき)
 中学三年生になる前の春休みには、おそらくその前年にヒットした歌謡曲の影響をうけて、悪性肉腫によって死亡した二一歳の女性と一歳年上の大学生の、実際に書かれた多数の手紙を収載した往復書簡集*〇八を読んだ。私は、ミコという愛称の女性が若くして亡くなってしまうという悲劇よりもむしろ、お互いを「愛する」感情を吐露している、実際に書かれた若い男女の文章に強く惹かれた。女性の死に多少は涙ぐみもしたが、むしろこの二人のような「恋愛」が現実に存在することに衝撃を覚え、この二人のような「純愛」に憧れた。そして、この二人を永別させた、女性の発病・死亡というような、特異な状況に置かれることを望みすらする、不思議な感情を抱いた。
 もっとも、以上のような気持ちはまだ意識または観念上のもので、現実の行動につながるものではなかった。それに、性的に成長はしていただろうが、上の往復書簡集に出てくる「純潔」なるものに関する二人のやりとりの意味は、半分程度しかわからなかった。上に挙げた小説とは別の作家の小説*〇九の中に出てきていた「性生活を伴う女中生活」という言葉の中の「性生活」の意味も、具体的にイメージすることはまだできなかった。

 *〇一 一九四九年七月六日、下山定則国鉄総裁が轢死体で発見される。同年八月一七日、松川事件発生。
 *〇二 一九五〇年六月二五日、朝鮮戦争勃発。同年七月二日、放火により金閣寺焼失。
 *〇三 一九六四年一〇月二四日、東京五輪閉会式。同年一一月九日、第一次佐藤栄作内閣発足。
 *〇四 吉永小百合の年間映画出演本数は、一九六三年が一一、一九六四年が九。和泉雅子は、一九六三年一四本、一九六四年九本。
 *〇五 武者小路実篤『友情』(一九一九年作。一九四七年一二月、新潮文庫化)。
 *〇六 舟木一夫「高校三年生」(一九六三年六月、作詞・丘灯至夫)、三田明「美しい十代」(同年一一月、作詞・宮川哲夫)。
 *〇七 川路英夫「胸に飾ろうしあわせを」(一九六四年一一月、作詞・宮川哲夫)、安達明「女学生」(同年八月、作詞・北村公一)。その他、梶光夫「青春の城下町」(同年六月)など。
 *〇八 大島みち子=河野実『愛と死をみつめて―ある純愛の記録―』(大和書房、一九六三年一二月。翌一九六四年九月、吉永小百合主演で映画化)。
 *〇九 石川達三『結婚の生態』(一九三八年作。一九五八年、新潮文庫化)。

# by aoyamarei | 2016-02-07 08:00 | 奈津子2004

憧憬048/散文「--さんに」

 憧憬048-散文  ――さんに (1966年、ノート ) p.55

 書きたくてたまらなくなりました。
 ――さん。貴女は気がついていないかもしれませんが、貴女の美しい瞳は僕の心をとらえてしまいました。
 恋のはじめとは、こんなものでしょうか。
 今日、今さっき、夜遅くなって、貴女のことを、いえ、いつか僕の方を見ていた美しい瞳を思い浮かべてしました。そして、ああ好きになってしまった、と思いました。
 僕たち二人(こんな書き方するの許して下さい)が高校生になってから(中学時代も、でしたが)話したことがあるのは、ええといつでしたか、四月六日に組分けの発表があった日だけですね。 その時は、貴女のことをどうとも思いませんでした。たしかに、貴女はいわゆるきれいな人だとは思いました。が、いい人かどうかはわかりませんでした。もっと話してはみたかったのですが、中学時代から――くんたちがいろいろ話していた貴女にそんなに(三年間も貴女とは話したことがなかった)しゃべれるわけありませんでした。
 それから、話したことはありません。
 それなのに、どうして、貴女を好きになったなんて書いたのでしょうか。いい人かどうかもわかりません。
 話したことはありませんが、僕は貴女と心の中で話してきたような気がします。
 今、そういう気がするのです。
 僕のことなど、貴女は気にかけてもいないでしょうが。(いえ、本当は、僕のことを考えることもあるだろう、とうぬぼれているのです。)

 遠足の日でしたか――高校生になって初めての、生き生きとした楽しい日でした。
 僕は近ごろ、ぐっと目が近くなって、あまりよく見えなくなったのです。それに関係はないかもしれませんが、太山寺の裏山で、お弁当を食べながら、登ってくる貴女をじっとみつめているのを、貴女が気づくとは思いませんでした。貴女だとわかると、無意識に、自分でも気がつかないうちに、見つめていたのです。そばにいた――は、そんな僕に気がついたらしく、あとで何とか言っていました。たぶん僕の視線を感じたことでしょう。もう忘れてしまわれたかもしれません。でも、僕はよく憶えています。じっと見つめていたのを貴女は気がついた、そう思うと、僕はなぜだか、体が熱くなるのを覚えました。
 そして、もう少し上の方で食事をしていた(二、三人のお友だちと)貴女のうしろを、少々ドキドキしながら通り過ぎたのです。
 あの日は、とてもいいお天気でしたね。久しぶりに、新鮮な空気のおいしさを味わいました。また、山の上から見た海の風景の、何と美しく、気持ちのよかったことか。
 梅津寺で解散したあと、また貴女の姿を見ました。誰か他のクラスの男子と話していましたね。僕は、貴女の方をじっと見つめてしまったのですが(今だったら、とうていできないでしょう)、その時、貴女は何か恥ずかしそうにしませんでしたか。僕にはそう見えました。今でもそう思っています。今から考えれば、よくあれだけ、貴女の方を見れたものだと思っています。
 遊園地の中で、貴女たがハンケチ落しをして遊んでいました。僕は、あまりよく貴女の姿を見かけるので、少し驚いていました。
 近くの芝生(といってもあまり生えてませんでしたが)で、僕たち四人ほどは、スモウをしたり、バレーボールをしたりして遊びだしました。僕は、スモウで二回とも――に負けちゃったのですが、気がついていましたか。無理でしょうね。僕も夢中で遊んでいて、貴女の方へはほとんど気をとられませんでした。ただ。時おり聞こえる、貴女たちの笑い声をうらやましげに耳にしていましたが。
 バレーボールが貴女にあたって、僕が取りに行ったことがありました。何だか、うまく言葉がいえませんでした。
 そのうち、貴女たちは、東高の校歌を歌いはじめました。 もうそろそろ帰るのでしょう。僕はすわって聞いていましたが、そのうち、じっと坐ってはいられなくなりました。貴女たちの歌がまずかったわけではありません。そばにいた――中出身の者が(そのとき知り合って、途中から僕たちと遊びだした)、ピューピューとか、「ウマイゾ」とか、貴女たちに向かって言いだしたからです。すなおに賞めてたのかもしれませんが、ひやかし的に、僕には感じました。貴女たちは、どうお思いになったでしょうか。
 もうお忘れになったかもしれません。僕は、ワイワイ言ってひやかしている者と一緒に見られたくなくて(特に貴女に)、立って、花園の方へいって、花をながめていました。何かしら恥ずかしく思いながら。その花は、名前は知りませんが、だいだい色の優しい花でした。
 いく枚花びらがあるかなぁ、なんて思っているうちに、体の熱さもとけて、ふりむくと、貴女たちはもう帰っていました。
 僕たちも、しばらくして駅の方へ行きましたが、まだ貴女たちが残っていることに気がついて、少しだけ安心しました。
 市駅〔伊予鉄道・松山市駅〕へ着いて、僕は二人の女子に呼びとめられて、駅の前で話していましたが、その時、市内電車を待っている貴女が、僕の方を一度だけ振り向いてくれたのを見て、とても嬉しかった。僕は、半分は、貴女の方を見ていたのです。
 あの遠足の日のこと、 貴女は、僕のことなどもうお忘れになったかもしれません。でも、今の僕には、まるで昨日のことのように、あの美しい青空の下の一日が思い出せるのです。

 これだけだったら、貴女のことをこんなに思うなんてことはないでしょう。僕が一人で勝手に楽しくつくりあげただけのことですから。
 でも、それから一週間ほど経って、貴女を再び思い出されることがありました。
 もう月日は忘れました。帰宅しようと正門の方へ向かって一年の校舎を離れていたとき、友達と一緒にいて、じっと僕を見つめている貴女に気がつきました。どうして気がついたのでしょう。貴女を見たに違いないのですが、僕は貴女の方を向いた憶えはありません。でも、こっちを見ているな、と感じました。が、僕は、貴女の方を見ないで、ツンとして通りすぎました。見えない視線を感じながら、少し心を熱くして。
 それから二日して、あれは土曜日でした。時間割の変更があって、いつもなら地学の教室へはいるところを地理の教室へはいっていくと、こちらを見ている貴女の視線とぶつかりました。僕は、そのまぶしさにこらえきれずに、そこにいた貴女のクラスの男子に話しかけて、その感情の高まりをごまかしました。

 完全に、貴女は、僕の心の所有者になりました。一週間ほどして再び貴女と逢ったときは――。あゝ、もう何といえばいいでしょうか。
 生物の教室に向かっていたとき、運動場から帰ってきて校舎の角をまがったところの貴女に、ぱったりと逢ったのです。僕は、本当にじっと貴女の瞳をみつめました。本当に。あの一瞬。心の震え。どれくらい、そうしていたでしょう。僕には十分間もそうしていたように思います。それは、澄んだ、美しい瞳でした。
 僕は、生物の教室にはいって、誰にも話しかけず、ただ心の動揺をおさえようと努めました。清純な貴女の姿に、僕はあついため息をつきました。泣きたいような感動でした。この喜び、幸福感を、誰がどうやって言い表せるでしょうか。
 そして、僕は愚かにも思いました。
 貴女は、僕を、もしかしたら――。
 <了>

# by aoyamarei | 2016-02-06 10:00 | 憧憬

奈津子/第一/01-01

奈 津 子

 奈津子、最も愛した奈津子--、あなただけに捧げる。
 二二歳の秋以降のことはまだ書き続けるので、待っていてほしい。
 再び呼びかけよう。奈津子、最も愛した奈津子、美しかった奈津子--。
 
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  第一・浅 葱 の 章

  一
 今から五〇年以上前の、まだ日本が占領下にあった一九五〇年に、私、秋月蒼一は、瀬戸内海に面した四国地方の城下町であるM市で生まれ、育った。前年には、下山事件、松川事件等*〇一の現在でも真相が不明の怪事件が起きていた。
 のちに知ったところによれば、私は五月上旬生まれだったが、奈津子の誕生日は五月の中旬で、ちょうど一週間だけ違っていた。二人が産まれて、それぞれの母親にしがみついて母乳を吸っていた頃に、京都の金閣寺が焼失し、北朝鮮からの侵攻によって朝鮮戦争が始まったことになる*〇二。

 奈津子の名前を私が知ったのは、東京オリンピックが終わった一九六四年の秋の頃だった。首相は池田勇人から佐藤栄作に代わっており*〇三、日本の経済は本格的な高度成長への途上にあった。
 私は、市立W中学校のブラスバンド部に所属していた。あるとき、一人の男子部員の家の二階の部屋に上がりこんで、男子生徒だけで、自分たちの中学校の中の、同学年生に限らない美少女、可愛い女の子の名前を挙げて、とりとめもない評論や感想を言い合っていた。
 その頃は、学園、青春、恋などを主題にした歌謡曲が溢れていた。女性青春スターたちも、映画の中で活躍していた*〇四。そうした雰囲気の中で、身近に存在する可愛い女の子たちのことは、男子生徒にとって格好の話題の対象だった。
 そのとき、どのようにして奈津子のことを知っていたのかは、そのときに質問したのかどうかも含めて今では定かでないが、ある男子部員が、南隣の校区の市立N中学校にいる同学年の美少女として、「志摩奈津子」という名前を出した。おそらくそのとき、しま・なつこ、という姓名の漢字も知ったのだろう。もっとも、奈津子についての話題はほとんど続かず、私もそれきりでその名前は忘れてしまっていた。

 小学校四年生の頃、高貴な王女のような凛々しさをもった同クラスの女の子を意識し、憧れたことがあった。これが、私の初恋だったかもしれない。また、小学校六年生の頃には、やはり同クラスの、今思えばかなり早熟の女の子と親密になり、校内でも、校外でも、よく会話をした。しかし、これらには、性的な感情と感覚は、少なくとも明確には付随していなかったように思える。
 おそらく中学一年生のときだろう。この学年用の月刊雑誌の一つのある号の表紙を、外国の少女のテニス・ルック姿が飾っていた。写真の中のその少女は後ろ向きに立ち、顔だけを振り向かせて微笑を浮かべていた。私は、短く白いスカートの下の、太腿の部分を含む長く健康そうな素肌の両脚をじっと眺めて、それまでは経験したことのなかった刺激をうけた。性的な意味でも成長しつつあったに違いない。
 それでも中学二年生の初めの頃には、異性間の恋愛よりも「友情」にまだ関心があったようで、題名に惹かれて、ある小説の文庫本を買って読んだ。だが、それは、友情に関係はあるものの、野島という主人公が杉子という女性に恋をしたが、杉子は彼の友人の大宮という男を選び結婚する、という失恋小説だった*〇五。私はその小説が書かれた時代をまったく意識することなく、恋をする男の熱情と失恋の衝撃を自らのことのように受けとめ、恋に憧れる気持ちと失恋を怖れる気持ちの両方を強くもった。また、「君よ、仕事の上で決闘しよう」という野島の最後の言葉から、将来の「仕事」の質やその評価が重要であることを意識した。さらに、杉子の「選択」には野島の家よりも大宮の家の方が裕福そうである点も理由になっているように思え、この点は、自分の家庭に思いを馳せて、「恋愛」や「結婚」の相手として選択されることに自信をもてない一つの理由になり続けた。これらは、とくに後者は、高校生時代や大学生時代の私には、ほとんど関係のないことではあったが。
 ともあれ、日本の社会全体が経済的な繁栄を目ざして希望にみちていたかのように、中学二年生の私も、近い将来への漠然とした希望をもっていた。それは、誰か素敵な女の子に「恋」をし、その女の子も私を「好き」になってくれて「恋愛」をする、という本格的な「青春」時代への希望であり、憧憬だった。
 「赤い夕陽が校舎を染めて、楡の木陰に弾む声、ああ高校三年生……」という歌や「……美しい十代、ああ十代、抱いて咲かそう、しあわせの花」という歌が流行したのは前年の中学一年生のときだった*〇六。中学二年生の年には、「花も小鳥もあの空も、二人で見るから美しい……」、「……きみは、優しい、きみは優しい女学生」などという歌も流れていた*〇七。このような歌はいずれも、私の胸中をときめかせるもので、私はしばしば口ずさんだ。
 また、ブラスバンド部員だったために旋律や楽譜に慣れていたためもあってだろう、この当時の歌謡曲を模倣して旋律を作り、特定の女子生徒を念頭に置いたわけでもないのに、歌詞も創作して「素敵なガールフレンド」という歌を作ってしまった。
 私には日記を付ける習慣はなく、当時の覚え書的な文章等を記した雑記帳を残しているだけだが、それによると、つぎのような歌詞だった。
 「一 帰り道で、恥ずかしそうに、微笑み交わした僕たち二人
    明るい君の瞳が僕を見てると、何故か勇気が湧いてくるのさ
    君は、素敵なガールフレンド
  二 どんな時でも、忘れはせぬと、指切り誓った校舎の隅で
    赤い夕陽の蔭に照らされながら、頬を紅くしじっと立ってた
    君は、素敵なガールフレンド
  三 悲しいときでも、君さえそばに、いれば涙は欲しくないのさ
    誰でも苦しみは持ってるものと、いつも僕には優しかったね
    君は、素敵なガールフレンド」
 <つづく>

# by aoyamarei | 2016-02-05 23:50 | 奈津子2004

憧憬045B/日記第五(高一、1966.05.09~15)

 憧憬045B/日記第五(1966.05.09~15、高一)

  (9) 五月九日(月)
 授業まァまァ。英作のとき、下らないこと質問したのが心残り。どの教科も面白い。
 明日地学があるが、先週「ややこしいな」という観念ができちゃったので、しんどい。やる気ない。
 古文、漢文は頑張っておかなくちゃ、と思う。
 高野、高岡とは一度も声を交わさず。女子のこと、冗談半分に云い合うのは互いによしたい。
 ブラスバンドへいき、譜の整理。はじめのうちは勉強とブラス、両方はきついと思ったけど。今はブラスも楽しみ。それで応援のLessonいかず。水ようのLong Home のこと、気になる。
 もうすぐNew House できあがりそう。6月にははいれるだろう。
 中間テスト、今から計画たてておかなくちゃダメだろう。

  (10) 五月一〇日(火)
 5じ限め、体育のとき心臓・肺臓の発育状態をしらべるテストというのをして(〔略〕)、65.2だった。これはクラスで1番くらいだったので驚いた。
 6じ限め、ハンドボール投げをして、30m。よい方だ。
 O(岡田啓一
)は図書委員で、当番がS-さんと一緒らしい。今日、チラッと見かけた。委員に択ばれてるのだから成績もいいのだろう。
 Libraryで放課後30分ほど「大正文学史」を読む。亀井勝一郎の「武者小路実篤論」を読みたい。Libraryは興味のあるものばかりだ。
 自分の頭の中に五、六人の心が入っているみたいな気がする。どれが自分か、わからない。
 はっきり正しい、といい切れるものは少ないと思う。必ず矛盾が生まれてくる。弁証法で習ったことを思い出す。
 いい天気だったが、夜はrainfallあり。

  (11) 五月一一日(水)
 Long Home、少し苦労したRecord Concert だった。3くみと一緒。
 生物、今日の講義、よくわからなかった。
 S、ブラスへ入部、少し話す。Eらに逢う。
 今ごろ、中3生は長崎の宿でおネンネの最中でしょう。お元気でネ。
 俳句らしきもの、5つほどできた。一日に1つは作っていこう。〔→憧憬046の(2)〕
 少し楽しくなった。いつだったか、つらくて、苦しくて、さみしかったことが夢みたいだ。

  (12) 五月一二日(木)
 体育、Basket。野村さん、3日ぶりに登校、早く元気になってほしい。
 S-さんの姿を2度見て、2度とも目が逢う。しかし、その目は人形の目である。僕を覚えていてくれるだろうと思うのに。ニコッとでもしてくれたら嬉しい。

  (13) 五月一三日
 来週月曜日は創立記念日で授業なし。そして、来々週の火ようから中間テストらしい。あと、10日ほどしかない。数、英訳、英作、生物、地学、現国、古典、地理の8つらしい(Hの話)。
 6じかんだとだいぶラクだ。睡眠不足か、それともカゼひいたのか、そうじのとき、ちょっとクラクラッとした。
 Hと一緒に、雑巾かけをつくった。大サービスである。
 Busに乗って帰った。5じから~7じすぎ、グッスリ寝た。Gone with the Wind〔風とともに去りぬ〕を読んでいたら眠たくなったので。
 東京の大学へ行きたい。もう子供ではない。そんな気がする。歳月がたつことの、何と早いことか。
 Y〔矢木=八木〕さんたちの顔が目にうかぶ。今日、旅行から帰ったはずだ。純粋な恋。虚偽。誠。

  (14) 五月一四日
 家庭のことが不満でならない。そして不思議でならない。
 ブラスを3じごろおえて、4じから~7じまでグッスリと寝た。9じから勉強をはじめた。あと中間テストまで一週間。暇がほしい。
 Y(八木)-。J(城)-。澄んだ瞳、輝く瞳が僕の心をとらえて離さない。今一度、楽しい日々をくりかえしたい。日記をつけるときになると、異性のことを考える。
 ”Gone with the Wind”、303p.まで読んだ。

  (15) 五月一五日
 つらい、さみしい、苦しい、恋しい、いとしい――。僕を好きだといわれてみたい。いわれたい。そういう態度をしてくれたら…、と思う。あゝ、美しき乙女たち、僕を甘えさせてくれ。勇気を与えてくれ。そして、偉大なる自信を。
 どうして今、僕にはこんな複雑な気持ちがはいりこんでくるのだろう。
 すべてを忘れてしまいたい気がする。”無”からやり直してみたい。やり直しても、また今のようになるのでは無意味だけど。
 優しくされたい。好意をもたれたい。もっとはっきりいって、みんなに僕を認めてもらいたい。
 11じすぎ起床。2じ、G〔グリコ〕くる。3じすぎまで二人で街を歩く。コース〔高一コース〕、和英を買う。あとは勉強。フロへ6じ~7じ。〔長兄〕兄夫婦きてる。
 とてもいい天気。明日、創立記念日、授業なし。今、11:25、珍しく早い。
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# by aoyamarei | 2016-02-03 08:00 | 憧憬

奈津子/第二/06-02

 奈津子-第二・檸檬の章

 六 つづき
 将来の志望を決めかねているうちに、一九七一年の四月に三年生になり、本格的に専門課程の科目を履修し始めた。主観的には、教養部時代以上に、真面目に勉強した。必修ではなかったが、専門演習という名のゼミナールも受講することが可能で、私は「西洋法制史」のゼミナールに参加することを希望し、認められた。人気のある科目または教師のゼミナールは希望者全員が受講することはできず、抽籤やそれまでの成績によって受講者が選抜されたが、西洋法制史の希望者は一〇人に充たず、希望者全員が参加できた。
 やはり専門課程に進級した奈津子とは、相変わらずの頻度で逢っていた。彼女は通学ルートをY山の南回りから北側へ変えたようだった。専門地区は教養地区の北側にあり、文学部の建物は――法学部もそうだが――その北の方にあったので、たしかに通学距離は短そうだったし、南回りコースのような起伏もなかった。また、法学部とは違って、文学部を卒業するためには卒業論文を書く必要があるらしく、彼女はそのことをすでに意識している様子だった。
 奈津子は、西ドイツの同世代の複数の女性たちとドイツ語での文通を始めた、とも言っていた。さすがに独文学科だけあって、そういう文通相手を紹介するルートがあるようだった。

 五月の初めの連休中に、新しいアパートに引っ越しをした。そこは前のアパートよりも西方にあり、市内電車の走る大通りに近かった。奈津子の下宿先からは少し遠くなったが、大学との距離はほとんど変わらなかった。また、独身の男性会社員も少しは住んでいるようで、マンションと言ってもよさそうな独立性があり、前のアパートでは共用だったトイレとシャワー装置も各室に付いていた。もっとも、古い建物で、安っぽい内装だったが。
 この転居は、奈津子には明確には言わなかったが、彼女と二人だけの時間をもっと過ごしたいためだった。喫茶店やレストランでは、あるいは寺社の境内のベンチでは、他人の目と耳が気になって、ゆっくり落ち着いては会話できなかった。また、そのような場所で従来のような話題について語り合うことは十分に可能ではあったが、もっと個人的で内密な会話をしたくなっていた。さらにこれこそ第一の目的だったが、奈津子と、第三者の存在を気にすることなく、落ち着いて、しっかりと抱き合いたいと思っていたのだ。

 四月末までにすでに納めていた半年分の授業料は入学後ずっと六〇〇〇円で、月額にすると一〇〇〇円にすぎなかった。私の生活は、帰省したおりに母親からわずかの金銭をもらうことがあったが、基本的には奨学金と一年生の六月から始めていた家庭教師による収入によって賄っていた。週二回、それぞれ二時間ほどの家庭教師のアルバイト代は、月額二万円程度だった。
 今度のアパートは前よりも家賃が月額八千円も高かったので、余計にアルバイトをする必要が出てきた。学生部に赴いて家庭教師募集の用紙を何枚か調べ、ある相手方の家に電話をして了承を得た。住所が比較的近い場所にあった、裕福そうな家庭教師先の家に初めて行き、相手の女子高校生を見たとき、その美貌に驚いた。
 外貌だけをとると、奈津子よりも美人だったかもしれない。テレビや映画に出ていても不思議ではないほどだった。ただし、その瀧川沙百合という名前の女の子は、あまり賢くはなく、幼稚だった。家庭教師として訪れたときも、高校や大学受験のための勉強をしているというよりも、男子大学生が傍らにいることを楽しんでいるようにみえた。

 奈津子には新しいアパートの部屋に、五月と六月に一度ずつ来てもらった。五月のときはちょうど彼女の二一歳の誕生日の日で、これまでと同様に特別の贈り物を渡すことはしなかったが、一緒にレストランで夕食をしたあとで誘ってみた。奈津子は私の新しい部屋に興味があったのだろう、私に従って入ってきて、「わたしの部屋より広い」、「落ち着いて勉強できそう」などと言っていた。
 奈津子は、部屋の中に二人だけでいることに、前のアパートのときよりも、緊張しているように見えた。ただし、しばらく沈黙をつづけていたが、私の気持ちを察してくれたのか、奈津子が自ら「スキンシップしたい?」と尋ねてきた。「うん」とすぐに反応すると、奈津子は少しだけ背伸びをして、私の首に腕を回してきた。二人は、その年の一月と同様に、立ったままで抱き合うという姿勢になった。私は頬に口づけしたあと、両手で彼女の腰の上の両側のくびれた柔らかい部分を掴んだあと、ほとんど無意識にではあったが、奈津子の背中に手を回して、彼女の臀部にも軽く触れてしまった。奈津子はそのことに気づいたはずだったが、拒否の言葉は発せず、抵抗の姿勢にもならなかった。
 六月に私の部屋に来てもらったときは、もはや言葉は必要でなかった。視線と雰囲気で何となく同意のあることを感じて、少なくとも抵抗されはしないだろうという自信めいた思いをもって、私は奈津子に近づき、抱きしめ、頬に口づけをした。
 その日も、奈津子の口唇の上に自らのそれを重ねることはしなかったし、できなかった。そのような接吻の作法に自信がなかったこともあるが、口唇を合わせるという行為は男女にとって特別の意味をもつものであるようにも思えて、躊躇したのだった。
 その「特別の意味」について、深く考えていたわけではなかった。だが、女性の口唇を奪い、女性がそれを許すということは、実質的には「求婚」とそれに対する応諾を意味するのではないかと、あるいは「婚約」中の男女ならばこそすることができる行為ではないかと、漠然と意識していたような気がする。そのような意味では、まだ私は、奈津子を、将来必ず「結婚」する、身体の親密な接触をもっても不思議ではない「恋人」だとは、まだ決定的には考えていなかったのかもしれない。あるいは、たんにまだ幼かったのだろうか。

 第三者の目や耳を気にすることなく奈津子を抱きしめることができたのだから、アパートを変更した成果はあった、ともいえた。しかし、着衣のままで抱擁し合い、私が口づけするというのが限度で、奈津子は、それ以上のことを許さなかった。正確にいえば、それ以上のことを許してくれる雰囲気ではなかった。私は、眼の前に餌をぶら下げられたライオンのような気分だった。男の欲求というものを奈津子はまったく知らないのだろうか、とも思った。でも、仕方がなかった。臆病だったのかもしれないが、奈津子の感情の昂まりに合わせるしかない、と考えていた。

 夏休みに入った七月下旬に、奈津子と二人で、鞍山電鉄を利用して、比叡山に登った。登山といえるようなものではなかったが、E寺の大伽藍の威容と東方の琵琶湖の静かなたたずまいは印象的だった。奈津子は山歩き用のスラックスを穿いていたので、後から歩いているときは、臀部のかたちがよくわかった。私は従来にまして、その部分の素裸の豊満さを想像せざるをえなかった。
 この頃、三人の若い女性歌手たちが人気を得ていて、新三人娘とも言われていた。私は、その中で強いていえば、六月にデビューした*一五長い髪の、黒い瞳が印象的な美少女が好みだった。だが、彼女たちは、所詮は別世界の人たちだった。私の身近には、奈津子という魅力的な女子学生がいたのだ。

 *一三 一九七〇年一一月二五日。
 *一四 渚ゆう子「京都の恋」(一九七〇年一一月、作詞・林春生)
 *一五 南沙織「一七歳」(一九七一年六月)。あとの二人は、小柳ルミ子、天地真理。
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# by aoyamarei | 2016-02-02 21:30 | 奈津子2004

憧憬045A/日記第五(1966.05.01~08、高一)

 憧憬045A/日記第五(1966.05.01~08、高一)

 (1) 五月一日
 G〔グリコ=浜田〕、L〔野村=高岡〕と多時間を費やす。
 昨日Sさんに逢っていれば、今日は her house を call at してただろうが、前もって言っておかなかったので、Gには悪かったが、行かなかった。またいつか行きたいな、と思う。午前中、G、うちへくる。
 午後1じ30分~5じすぎまで、街をブラブラ。Oくん、Uさんに逢う。TがYさんと一緒に、なんて言ったのを本当にして、一瞬、ドキッとなった。感じのいい人だ。
 風ととともに去りぬを昨晩、今日と、今160ページまですすんでいる。
 とてもいい天気だった。初夏の匂いがする。
 J〔城〕さんを僕は恋している。あらためて日記君に知らせておこう。-さん、Nさんとはあまり話さないようにしよう。
 もっと純粋でありたいと思う。見せびらかすために男の子と交際している女子なんて最低だ。
 今日は英訳にちょっと時間がかかって、ただ今、1じ01分である。本は読めそうにない。
 PS. フロ〔道後温泉〕でT〔高野泰樹〕に逢った。”皿”から帰ったところだったが、死ぬほどしんどかったと言っていた。Mさんと、2、3べん逢った。
 Jさん、おやすみ。おネンネしよう。

  (2) 五月二日
 5.3、1:55記。
 やや天気悪し。久しぶりにBrassへいく。Trombone に結局なった。
 Hと一緒にアサイへ、教則本を買いにいった。¥300。少々いたい。
 7じかんみっちり授業うけると本当につかれる。僕はよく発言する。
 このあいだの学力テスト、3まい返していただく。思ったよりはだいぶいい。
 どうもYさん、Jさん、Sさんの三人が気になる。N(野村)さんもいい人だと思う。
 英訳、ほかの勉強方法みつけなくちゃなるまい。
  
  (3) 五月三日 憲法記念日
 12じ15分くらいまで勉強した。主として英、数。午後はほんの30分ほどしかできなかった。
 2じ、勉強しようと思い、赤参を少しやったところにTがきて、うまく帰ってくれないので、おつき合いして4じ前に--Junior High School へいき、ブラスで吹いた。Trombone、C調ヘ音記号が読みづらい。早くうまくなりたい。A、Sといっしょ。Dもきた。
 僕はいったい誰が好きなのだろうか。L〔野村=高岡〕は「Y(八木)さんだろ」っても今日言ってた。今日はそんな口ぶりだったらしい。Yさん、Jさん、Sさん、美しい、可レンな三人を思うと、…”自分のことを考えろ、おまえにはもったいなさすぎる”といつも誰かが言っているみたいだ。
 今、1じに6分前。あゝ美しき乙女たち、もうすぐ修学旅行だな。

  (4) 五月四日
 いつものように眠たい。学力テストの60番以内が発表されて、僕は--番だった。嬉しさと驚きでいっぱいだった。まさか、こんなにいい成績だとは思っていなかった。12組は9人はいっていたが、Y-が…一番だ。本当に意外で嬉しかった。国語の--は学年でトップだろう、と思う。--番は-中からきたT〔彩木=富久〕さんと同じだった。これはどういう因縁だろうか。
 人間らしさ、暖かみを失わないで、学習にも力を入れたいと思う。
 両親と僕は気もちが合わない。何かしら歯がゆい。
 5.5 --番おめでとうってT(高野)がいってくれる。本当に嬉しい。心からこういってくれる人が何人いるか? 同じテストをうけている者の中で。

  (5) 五月五日 子供の日 No Cloud
 少し落ち着くと、すぐ女子のことを考えだしてしまう。一人だとそうじゃないのかもしれないが、G(グリコ=浜田)、T(高野)、T(高岡)らと一緒になると、すぐあっちの話になってしまう。入学当時はそんなこと考えている暇もなかったのに。
 今日はいとこのKさん(くめの)結婚式で、父母ともに式に出席して、午後は僕一人だった。
 もっともそれははじめの予定で、2じすぎに例のトリオがきたので、一緒に公園、〔道後中〕学校の方へ行ってしまった。「勉強してるから」といって、アイツらを帰すわけにはいかない。勉強の途中で少々ジャマだったのではあるが。しかし、こんなにたずねてくれる友がいて幸福だな、と思う。
 5じすぎまで、〔中〕学校で逢ったS(篠田)を加えた5人で東Groundで遊んでいた。
 その後、7じすぎから食事し、8じすぎ~11じすぎまで勉強をしていた。
 Yさん、Sさん、このすばらしき二人はおなじ8組で、とても仲がよさそう、らしい。
 8組の評議員はYさんらしい。-さんらが「Yさん、きらい」といってるのを知っているので、Yさん、嫌われているのかな(僕はそう思っていなかったけど)と思っていたが、やはり人気があるのだろう。彼女のことだもん。
 -さんは、JさんもYがきらいだ、といっていたが、本当だろうか。悪いけれど-さんは好感もてない。いくら成績がよくても。
 で、とにかく、Yさん、Sさん、いい友だち同志でいてほしいナ。
 5.--、Y〔矢木美希子=八木三千子〕さんのお誕生日のとき、オメデとうのTELすることを本当に考える。T、Tらに相談しよう。
 梅津寺パークの中で芝生の上で、あの人たち(?と?と?)と遊びたいな、と思う。フォークダンスやったり、合唱したり、ハンケチ落とししたり、――楽しいだろうな。
 たまらなく逢いたい。星よりもなおはるかなる君なりと、思えど悲し忘られなくて〔注・橋幸夫「君、星よりも遙かなり」の前奏中のセリフ〕。心から、I love you !

  (6) 五月六日
 試験結果が発表される前よりは気がゆるんできた。
 各先生方のクセ、だいぶ覚えてしまったし。
 英、数、近頃はテンポがおそい。たすかる。
 Libraryで「大正文学史」(臼井吉見)を借りる。ドキドキする。こんな本を読めるのかと思うと。
 学級委員会があって、24人集まる。入学式のとき答辞よんだ、T〔徳井〕、はじめて顔を見る。
 7組のhomeroom委員は体の大きい人だ。係の先生はS先生だった。―いい先生。
 中学生の女子――僕は合わない。同格には扱えない。どうしても、年上-下の関係になる。
 Sさんたちだって、ただ遊んだ、というだけだ。
 交際なら、もっと大人になりたい。あの人たちとは”交際”はできない。いったいどうすればよいのか。
 今日は、ごくふつうのありふれた少女にみえる。高一時代〔雑誌〕の「まちがった青春」のせいか。

  (7) 五月七日(土)
 授業中、眠たくて困った。はじめほど情熱がはいらない。
 家に帰ってから、自己否定の念を感じて、勉強するのがイヤになるほどだった。劣等感を感じていけない。
 他人から僕はどのように見られているのだろうか。
 昨日、Y〔矢木=八木〕さんちへTELしたら、修学旅行前だから、といって断られたそう(T、Tの話)。
 Yさんは僕なんかよりTの方に好感をもつだろう、と思う。Yさんとはずっと逢ったことなく、話したこともない。5.--にはTELするつもり。
 来週、J〔城〕さんはさみしい週を迎えることになろう。火よう日6じかんなので、帰りに寄って話してみたい。
 僕はYさんとJさん、どちらが好きなのだろう。こんなこといえる僕ではないのかもしれないが、あの人たちから「すき」といわれたら、死んでもいいほどに嬉しいだろう。
 図書館で「武者小路実篤」のこと、しらべる。借りている「大正文学史」、おもしろい。読めば読むほど、興味が湧いてくる。もっといろんな作品を読まねば、と思う。
 珍しく雨が降った。勉強ほとんどせず、5~8じまで寝ていた。
 現在2じ10分。自己否定のつらさ!! 「うぬぼれるな」、絶えずどこかで誰かがいっている。成績よかったのに、なぜか欲求不満。

  (8) 五月八日(日)
 10じ20分頃から朝食をはじめた。Guitarを少し弾く。早く巧くなりたい。
 家からほとんどでない。外の空気すったのは、8じごろからフロへ(うちの)いったときだけ。
 ほぼ勉強してたことになるが、3じまではギターをひいていたし、何かしら興味がわかない。
 昨日ほどはつらくない。昨日はどうしてあんなに悩んだのだろうか。
 今、すばらしい経験をしているのかもしれない。女子をこれほどまでに賛美できる、賛美したい気持ちになれる時はそうないだろう。
 美しくて、美しくて、清純で、清純で、たまらない。理想化? それでも美しいのは事実。他の女子と全然ちがってみえる。体全体にポォ-ッとピンク色がさしたみたいな……。Y-、T、やける。友情。J-、逢いたい。
 高一時代〔雑誌〕の付録の「まちがった青春」にある男女のこと。僕らがワイワイ言っているのは、この本のような下らないものかもしれない。
 僕は、自分を信用できなくなった。-孤独-、この言葉が胸をうつ。
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# by aoyamarei | 2016-01-30 06:00 | 憧憬

奈津子/第二/06-01

 奈津子/第二・檸檬の章

  六
 奈津子の私を見る視線や表情、そしてしぐさが少し変わってきたと感じたのは、その頃、一九七〇年の秋以降からだっただろうか。
 その頃までに比べると、奈津子の視線が、私の手、あご、喉仏のあたりに向かうのを感じるようになった。また、私を嫌ってはいないはずだったが、無邪気そうに私と接してくれていたのに、私がすぐ近くにいることに少し緊張しているような印象をもつようになった。さらに、スカートの裾や胸元あたりなど、奈津子自身の服装を気にしている様子も、これまではほとんど気づかなかったものだった。それまでは顔の化粧はほとんどしていなかったように私には見えていたが、化粧をしている、と明らかに分かるときもあった。
 今思えば、奈津子が私を「男」として意識する程度が高まっていたのかもしれない。「女」として成熟していく過程にあったのかもしれない。私は、高校生時代はもちろん、それまでの大学生時代よりも、奈津子は「女っぽく」なった、と感じるようになっていた。私は化粧していない奈津子の方が好きだったが、その点以外は、「女っぽく」または「艶っぽく」なった奈津子はますます魅力的だった。私は、「志摩さんは、化粧なんかしなくても、十分に綺麗だよ」と言ったことがあった。

こんな言葉を発していた頃、作家の三島由紀夫が東京市ヶ谷の自衛隊駐屯地に乱入し、バルコニーで演説をしたのち、割腹自殺を遂げた*一三。私はといえば、翌日に講義を聴くために大学へ行ったときに初めて、近くにいた学生たちの会話によって、その「事件」を知った。とはいえ、驚き、背景を詳しく知りたいと思いはしたものの、精神的衝撃を受けたわけではなかった。大学での勉強や奈津子とのことなどが私の頭を占めており、三島の文学や政治思想についての関心と知識が相当に乏しかったからだと思われる。
 また、この頃には、「京都の恋」という、ある女性歌手が歌うグループサウンズ的歌謡曲*一四がヒットしていた。私は大衆音楽には高校二年生くらいまでのような強い関心をもってはいなかったが、「京都」という名がつく歌には注意を向けていた。この歌の旋律はともかく、歌詞は私の気分には合っていなかったが、「白い京都に雨が降る」、「白い京都の片隅に…」という部分は印象に残った。京都は盆地だったので、白い靄や霧に包まれていることが多かったのだ。

 一九七一年の一月にも、帰省した。一年前と同様に、だが今度は奈津子が誘ってくれて、彼女の家を訪れた。彼女の部屋に入って二人きりになると、まったく予想していなかった、二人にとって大きな画期となった会話が始まった。
 「『恋愛』は、高校時代の前半は、わたしの専攻科目のようなものだった。わたし、きっと、秋月くんのことを『好き』なんだけど、自分自身のそうした感情を理解し説明することはむつかしい。……秋月くんも、わたしのこと、『好き』なのでしょう?」
 「……うん。もちろん」
 「……わたしを抱きたくない?」
 奈津子は、高校生時代の同じ部屋での、私の言葉と行動を思い出しているのかもしれなかった。
 「…もちろん、抱きたい。思い切り、抱きしめたい。……志摩さんさえ、いやでなければ」
 奈津子は私を見つめていたが、潤んだような眼に変わって、言った。
 「いいわよ。…抱いて。……思い切り抱きしめて」。
 私は予期しなかった言葉に驚きつつ、一瞬のうちに決意を固めた。そして、奈津子のすぐ前に近づいて立って、檸檬色のカーディガン姿の奈津子を強く抱きしめた。彼女の全身を感じた。肉体の存在を実感した。腹から腰のあたりも密着させた。<略>
 夢心地の中にいるような気分で奈津子の身体を強く抱きしめ続けた。これが奈津子なのだ、と思った。立ったままだったが、私は、初めて、奈津子をしっかりと抱きしめたのだ。
 私はまた、眼をつむって頬を少し紅くさせている奈津子を見て、唇、頬、首筋、顎の下などの素肌の部分の感触を味わいたくなった。可能ならば、すべての部分に手で触り、唇を使って柔らかく噛んでみたい気すらした。しかし、唇を奪うことはできなかった。私は、洋画でキス・シーンを観たことは何度かあったが、口唇への接吻の仕方をまだよく知らず、巧く接吻することに自信がなかったのだ。
 このような場合の作法に習熟していなかった私は、結局、ほとんど無意識のうちに、手を奈津子の両肩にのせたままで、奈津子から見て右側の頬に口づけをし、少しだけ柔らかく噛んだ。正確にいえば、歯を使ってではなく、奈津子の頬の柔らかい部分を上下の唇を使ってやや強く挟んだ。そして、身体を離した。口唇に対してではなかったが、これが、私の奈津子に対する、初めての「キッス」だった。
 私の心臓の鼓動は早まっていたが、少しずつ元に戻っていった。奈津子は上気させた表情のままで、喘ぐように、「気持ちよかった。ありがとう」と言った。感謝すべきなのは、私のはずだったのだが。
 その日のあと、京都に戻ってから最初に奈津子と逢ったとき、彼女はこれまで見せたことがなかった気恥ずかしそうな視線を私に向けてきた。だが、そのあとは、前年の秋頃の奈津子に戻っていた。二人は、この頃、二〇歳だった。

 私は、京都に戻ってから、奈津子が自ら積極的に抱擁へと誘ってくれたことへの感激と喜びを反芻していたが、それよりもむしろ、奈津子の身体の感触そのものと、頬を上気させた表情を何度も思い出していた。再び、いや何度でも、奈津子を抱きしめたいと想った。また、着衣のままではなく、素裸の奈津子を思い切り抱きしめたくなった。
 だが、そのようなことはまだ不可能に思えた。そのような行為をする場所を想像しても、私や奈津子の下宿先の部屋では無理だった。家主または隣人にすぐに勘づかれるだろうと思った。
 しかし、<略>。
 このような感情は、いったい何だったのだろうか。「女」の肉体への「恋」または「欲求」だったのだろうか。いや、「女」であれば誰でもいいのではなかった。その年、一九七一年の一月のできごと以降にこそ強くなった想いで、奈津子という特定の女性の肉体への「恋」であり「憧れ」だった、と思う。そして、それは、まだ成就していなかった。

 大学構内に一日だけ白い雪が降り積もっていたことがあったが、一月末から、学年末試験を受けた。そして、必要な単位を修得して二年間の教養課程を終えることになった。英語とドイツ語はすべて「優」の成績だったが、三つ受けた専門科目のうち「優」を取れたのは憲法第一部だけで、民法第一部と刑法第一部は「良」だった。
 試験が終わるとすみやかに、私は新しい下宿先を探し始めた。そこは、それまでのアパートよりも、独立性と密室性が高いものである必要があった。


# by aoyamarei | 2016-01-29 06:00 | 奈津子2004

憧憬044/詩「二輪のバラ」(1966.04.19)

 憧憬044/詩「二輪のバラ」(1966.04.19、ノート。のち11月、文芸部・詩集『会話』所収) p.53

  紅い色のバラの花
  同じ色した二輪のバラが
  窓辺に優しくいけてある
  柔らかい光をあびて
  部屋じゅうを
  甘い夢で包んでいる
  一輪だけではさみしいか
  花びらよせてささやき合っている
  美しい、愛らしい姉妹〔きょうだい〕が
  頬をよせて微笑み合うように
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# by aoyamarei | 2016-01-28 06:00 | 憧憬

憧憬043C/日記第五(1966.04、高一)

 憧憬043C/日記第五(1966.04、高一)

  (15) 四月二五日(月)
 実力テスト、まぁまぁ。英語はあまりできなかった。数学は90以上ほしい。予想よりだいぶいやすかった。60番まで発表されるそうだ。無理だとは思うが、あってほしいとも思う。クラスで5番以内におればいいわけだ。-、-、-、-、-、……。5人ぐらいワンサといる。
 THE SOUND OF MUSIC をみた。よかった。夢のようだった。とてもキレかった。あんな楽しい生活が実際にないものか、と思う。
 5じまえに帰って、7じすぎから12じまで勉強をした。英数が大変である。
 学校からの帰り、12じ半ごろ、〔道後中〕学校へよってN〔中村〕先生と少し話した。3年生の女子たちとは逢えなかった。
 S、O、W、T、E。会長は誰が当選するか? どちらでもいいが、Sの方がやれそうな、いやOもいい……。

  (16) 四月二六日(火)
 中学生時代に比べると、勉強の量は雲泥の差だ。入試勉強よりもよくやっている。
 今日とくに変わったことといえば、学校の帰り、F〔筆脇〕さん、Fくんとナントカという食堂へはいって一人50円ずつごちそうになって、その帰り、F嬢と二人で一緒に歩いたこと。話聞いているとすごくおマセだ。よくしゃべり、よく笑う。
 朝、雨ふりそうだったが、一度バサッとふって、午後はカラリとい天気になった。
 体育のとき、〔?〕種目のテストをした。握力40、36、背筋力114、サイドフック41、ハイジャンプ58、前屈5、そらす67、でわるい方ではない。安心した。あまりキビしくはなかった。今0じ11分。

  (17) 四月二七日(水)
 明日、遠足。ハレであってほしい。
 雨だと数が2じかんもあって、タマらん。
 特にかわったことなし、またhome-room委員、手伝わされて、5じすぎまでやっていた。生徒手帳のこと。
 テルテル坊主!! 晴れであってほしい。
 
  (18) 四月二八日(木)
 4.29記
 遠足、大山寺→梅津寺。楽しかった。自主が尊重され、自由であるが、責任もある。
 梅津寺パークで遊ぶ。ジェットコースターにのり、気分が悪くなった。
 堀内(美恵子)さんの姿が妙に印象に残っている。
 きれいな花があって、スカッとした。T(高野)と相撲して、負けた。
 市駅でアイニク?、N〔野村〕、F〔筆脇〕の両君にあって、つかまってしまい、後同伴してしまった。みつ豆おごってくれるっていうの、断わればいいのだが、つい心ゆるしてしまう。どうも「イヤ」とはいえない。
 Nさん、とってもしっかりした、感じのいい人だ。N〔野村〕嬢の秘密おしえてもらった。
 味加久でソフトクリーム、あんみつ食べ、3人で御宝町まで歩いた。もうやめようと思う。

  (19) 四月二九日(金)
 天皇誕生日、休み。外へ出たのは6じすぎ~8じまえのフロへいったときだけ。11じまえにおきて、ほとんど勉強をしていた。数、生、理が主だった。
 「風と共に去りぬ」を昨日I〔石原〕さんに借りて、少し50ページほどよんだが、面白そうだ。今0じ10分、20分ほど読む。
 兄キ夫妻がくる。とってもいい天気だった。Sさんちへ行きたくなった。
 昨日女子と歩いているのをMさんにみられちゃった。みんなに言うだろうか? 気にしない。
 
  (20) 四月三〇日(土)
 四じかんめ、3の1のMさんの病死(28日午後11時)をきく。ショック。
 それで、放課後のフォークダンス、延期になる。
 ブラスの練習いこうと思ったが、Tの誘いで-中学へ。
 そこで、J〔城〕さんと逢う。他、S、O、Tさんらと(Sさん、Yさんとは逢わない)。またブラスの指揮をやっていたりして、4じ30分に帰った。
 その後、7じすぎまで睡眠。9じまえ~1じまで勉強(古文法と英作が主)。これから風と共に去りぬをよむ。
 PS. 〔道後中学の〕修学旅行は10日からだそうだが、Jさん、Tさんは体のせいで、行かないそう。さみしいだろう。1日くらい、顔見にいこう。
 おマセな高校生に比べて、Jさんのあの清らかさがとても印象深い。
 あゝ…神さま。死がコワい。  
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# by aoyamarei | 2016-01-27 17:50 | 憧憬