2018年 05月 10日
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by aoyamarei
| 2018-05-10 10:10
| 瞬燦
2014年 12月 19日
今の大学は違うようだが、かつてはほとんどの大学で教養部(教養課程)と学部(専門課程)の明確な区別があり、前者を修了しないと専門課程(学部)へは進級(進学)できなかった。 その際の修了要件とは一定の単位を修得することで、かつ外国語や体育の一定の単位は必修だったほか、人文・社会・自然という三分野でそれぞれ三科目(12単位)以上を必ず修得する必要があった。 余計なことをしていて講義自体を聴講することがほとんどなかった私が、容易に進級(進学)できたはずはない。とりわけ外国語(語学)は実際に受講する=授業に出席する必要があったにもかかわらず一年生のときはそれを怠り、ほとんど単位を修得していなかったのだから、周囲の者で多少とも私の単位修得状態に関心をもつ者であれば、私は相当に危険なゾーンにあると思っていて当然だったろう。 高校同窓の岩田秀彦も、そういう一人だっただろう。おそらくは、大学二年生の後期の、冬休み明けの頃、つまり翌年に入っていた頃だった。大学内のたぶん書籍店内で偶然に遭遇したとき、おまえは学部(専門課程)へ進学できないのだろう、というようなことを、確認的に質問されたか、一方的に言われた。 進学できる自信があったはずもないから、微苦笑して、曖昧な回答をしたか、反応をしたはずだ。 そのときの岩田秀彦の態度に片鱗たりともなかった、とは言えないのは、私に対する<優越>意識であり、<蔑む>意識だっただろう。 だが、しかし、私はギリギリのところで、最低限度の単位を修得し、岩田秀彦とともに学部へ進学(進級)した。岩田は、意外感を持ち、ひょっとすれば、少しは失望したのではなかろうか。 ちなみに、英語はすべて90点以上で、一年生のときに本来は修得すべきだったものも含めたドイツ語はすべて80点以上だったように記憶している。 岩田秀彦は、のちに、日本共産党員になった。 #
by aoyamarei
| 2014-12-19 23:10
| 阿木
2014年 08月 01日
2003年秋に重要な仕事があり、同年7月くらいから準備作業にとりかかったものの、思いついたことのメモ書きやら引用したい文章・資料のコピー又は写し直しやらで、本格的な作業になかなか入れず、唸っている間に趣味的に、併行して「懐旧」話を書くことを思いつき、当時にあった(今でもたぶんあるのだろう)高校の同学年・同窓生だけの共用ブログ欄のようなものに掲載をし始めた。 本来の仕事の息抜きのような文章書きだったが、思いの外、こちらの方は順調に捗って、二ケ月間くらいにたぶん50~70くらいの小文ができ上がった。さして長文ではなく、最初の第一文がすっと出てきて、最後の文で巧く(洒落た感じで、あるいは余韻を残すような形で)締め括れる文章が書けて掲載できると、それなりの充足感はあった。もっとも、そのような文章ばかりではなく、不満の残る、語彙の少なさを痛感するような文章も多かったのだが。 掲載する予定の文章にストックが溜まってき、本来の仕事の締め切り日が近づいてきたので、九月に入ってから掲載頻度をやや多くしていたら、唐突に、当該共用ブログ欄のようなもの(正確な仕組みと名称を知らない)に、平沼漢勝=尹漢勝という同窓生でその欄にしばしば寄稿していた人物が、私=蒼山の掲載頻度は多すぎるし、内容が<超個人的だ>との批判・クレームを載せた。 こんな文句が出るようならもう止めようと思いつつ、その日の後、せっかく書きためていた文章だったので、好みの数の回数になるようにしてたぶん毎日か三日に二度くらいの頻度で掲載した。 すると平沼=尹漢勝は自分の「警告」が無視されたと勘違いしたのだろう、そのサイト設営の苦労や<自由な>フォーラムであることを付加して持ち出してきて、もう一度、かつより厳しく、私=蒼山を批判した。 私は好みの数の回数の掲載が終わると、もうその欄には書かないと宣言し、その後は何も書いていないし、閲覧すらしていない。 さて、平沼=尹漢勝の批判・クレームは、その方法も含めて、納得できるものではなかった。 方法としては、メールアドレスが分かっているのだから、まずはメールで個人的に「警告・注意」を柔らかく行うことが考えられたはずだが、何と突然にいわば「公開の場」で批判してきた、ということも不満ではあった。 上の点も含めて、平沼=尹漢勝に対して、①頻度が多すぎるか適度(・少ない)かはどのような基準で判断するのか、私=蒼山の場合は具体的にどういう基準を超えたがゆえに多すぎるのか、<実証的>に答えよ、②超個人的というが、平沼=尹漢勝の書いていることの中にも飼い犬とか家族・家庭の細かいことも含めてかなり<超個人的な>ものがしばしばある、その点はどう思うのか、等々の旨の質問状を個人的な電子メールで発した。なお、印刷していないし、PCの変更があったりして、正確な内容は残っていない(と思っているが、ひょっとしてどこかにコピーして保存している可能性はある)。 いろいろな人がいるものだ。奇怪な人間もこの世にはいるものだ。平沼=尹漢勝は私=蒼山からのこの質問を無視した。つまり、返答がなかった。 そこで質問の送信後4週間は確実に経過したのちに(ちょうど一ケ月だったかもしれない)、なぜ返信を寄こさないのか、「公開の場」で個人的攻撃をしておきながら<卑劣・卑怯だ>等と書いて送信した。 返信を期待したわけでもなかったが、ようやくその後になってメールが平沼=尹漢勝から来た。私=蒼山の質問にまともに答えるものではなく、不誠実なものだった。私=蒼山はたぶん再び<卑劣・卑怯だ>と反復したかまたは<誠実さ>の欠如を指摘して、<もうけっこう>という旨を送信した。 <自由なフォーラム>であることを理由として、かりにいかに頻度の高い掲載数であったとしても、同じ条件にある(つまり同窓生である)私=蒼山が書いて掲載する「自由」がなぜ規制されなければならないのか、が基本的な問題だ(「規制」されたからといって実質的な不利益はなく、「自由に」=自主的な判断でもう書かない・掲載しないと決めて済んだしまったことだったが)。 もとより、当初から、一カ月または一週間の掲載回数や掲載文字数、さらには(実質的にはかなり困難だとは思うが)掲載する内容について、ルールが定められて、公にされていれば、関係者・参加者はそれに拘束されるべきだろう(それでも、そのルールを改訂すべしとの意見発表は「自由」だろうが)。 そんなルールはなかった(はずだ。もしあれば、平沼=尹漢勝が言及しただろう)。そのルールを、平沼=尹漢勝個人が自分で勝手に作ることができるはずもない。 あとから別の某から聞いたところによると、<蒼山くんの文章を「面白く」感じなかった人もいたのでしょう。仕方がない>という旨の文章を旧姓が加藤だった瑠璃垣節子という女性が書き、それによって<救われた>旨の文章を平沼=尹漢勝が次いで掲載したらしい。 バカバカしい議論だ。 私=蒼山からすれば、その欄に書かれてある文章の多くが「面白く」はなかった。 とくに平沼=尹漢勝の、<今日、学会で……に来ました。>などの書き込みは、何のために書いているのだろうと感じていた。ゴルフのスコアに関する文にも興味がなかった。だが、読み飛ばしても、そのような文章を掲載すること自体を<怪しからん>ことだとは、つゆも考えなかった。各人の「自由」だ、という他はなかった。 瑠璃垣節子が示唆するように「面白く」感じさせるかどうかが基準になる、というならば、その基準を明確に示すべきだが、<面白く>感じるか否かは主観的な、各人各様のもので、客観的な基準などあるはずもない。また、できるかぎり客観的に見て大多数が<つまらない>と感じるような内容の文章でも、それを掲載する「自由」を否定することはできなかっただろう。 こんな当たり前のことを書くのもバカバカしくなってくる。 私=蒼山にはその欄に書かれてある文章の多くが「面白く」はなかったため、多くの者が同一学年者・同一世代であるがゆえにかなり共通して関心を持てるかもしれないと思って世代論を書いたり、郷里の話、過去の学校生活の思い出に言及したのだが、反応は芳しくなかった。 その頃はみんな五三才になる年で、まだそれぞれの生活・生業・仕事に忙しく、過去を振り返る=<懐旧>するにはまだ早すぎたのかもしれない。60才(還暦)を迎える時期であれば、あるいは会社等の定年を迎えた時期であったならばもう少し活発な反応があっただろうか、と思ったりもするが。むろん、あのサイトを再び閲覧することはない。きっと私=蒼山怜には向いていない発表媒体だったのだろう。 9月以降に平行して(むしろ当然に職業上主として)準備をしていたその年の秋の大仕事は終わり、今では、そちらの記憶・印象の方が強く残っている。表面的には、あるいはかなり実質的にも、充実した秋だったわけだ。 だが、この頃を思い出すと、ついでに?、上記のような不快なかつくだらない記憶も蘇る。あれからもう10年以上も経ったのだ、という感慨とともに。 なお、私=蒼山は、当時二つ以上のブログ・サイト類を持っていて、合計のアクセス数累計は、1,000,000をとっくに超えていた。但し、その数は「公開」の設定にしていないか、又は管理者・開設者には分かってもそもそも「公開」できないものだった。 上に言及した共用ブログ欄のようなものにもアクセス数累計の表示があったが、記憶のかぎりでは、同一人が一日に何度クリックしても数は増えていた。全く個人的な、蒼山一人だけで当時書いていた上に言及したブログの一つだけで、しばらくして、上記の共用ブログ欄のようなものの累計アクセス数を簡単に超えてしまった。そのことはまことに欣快な気分にさせたものだった。 なお、尹漢勝はユン・ハンスクと発音するらしい。 #
by aoyamarei
| 2014-08-01 22:30
| 阿木
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